2008年09月01日

まぐれ

今日はナシーム・ニコラス・タレブ氏の
まぐれ
です。
まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか

本書は勝間和代氏のブックリストに入っていて、
興味を持って購入しました。

著者はトレーダーとして長年活躍した後、
大学で学問的な立場から不確実性の問題に取り組んでいます。

そして、この本は「偶然」の扱い方について書かれたものです。


いったん読み始めると、我々が「偶然」の扱い方に
いかに心理的なバイアスをかけているかを痛感することになります。

そして、その「偶然」を相手にしているトレーダの仕事は、
人が思うより多く「偶然」に左右されているのです。

つまり、成功したトレーダーも失敗したトレーダーも
人が思うより「運」の一言で左右されることが多いのです。

そんな感覚的な部分をうまく論理的な文章に落とし込んでいて、
なんども目からウロコが落ちる思いをしました。


リスクの大きい投資をしている人、考えている人は
ぜひ読んでおいた方が良い一冊です。
少なくとも、破滅させる確率を大幅に提言してくれるでしょう。

ただし、この本を読んだ後に、投資はやめよう、
という結論になるかもしれませんが…。




トレーダーという仕事のただ一つの暗黒面は、
心の準備ができていない連中にお金がシャワーみたいに浴びせられる光景だ


人は何か抽象的なことに対して保険を掛けるのを嫌う。
彼らが注意するのは、いつも、もっと生々しいリスクのほうなのだ。


リスクに気づいたりリスクを避けたりといった活動の
ほとんどをつかさどるのは、
脳の「考える」部分ではなく「感じる」部分なのだ。


モンテカルロ・シミュレーションは、
大人になってから私が見たものの中で一番おもちゃに近い。


「本物の」数学者はモンテカルロ法が嫌いだというのは本当だ。
モンテカルロ法には数学の厳密さや優美さがないと彼らは信じていて、
「野蛮なちからわざ」呼ばわりする。


過去を予測するのがとてもうまい連中が、
自分は将来を予測するのもうまいのだと勘違いして、
自分の能力に自信をもってしまうのだ。


興味深いのは、生き残るのが一番歳を重ねたものである点だ。
お年寄りは稀にしか起きない事象に直面した経験が多く、
だから、筋のとおった話だけれど、
そういう稀にしか起きない事象に抵抗力があるのだ。


期間を短くとると、ポートフェリオのリターンではなく
リスクを観察することになる。


なんと言おうと、苦しみは喜びで相殺できない
情緒面では赤字がでるのだ。


科学者にとって、科学かどうかは推論が厳密かどうかで決まる。
(中略)
やさしい言葉で書いても科学者が求めるような厳密さはちゃんと得られる。


いつだって一番お金持ちのトレーダーが
最悪のトレーダーであることは多いのだ。


彼にとってもっとショックが大きかったのは、計算上はああいうことは、
1、000、000、000、000、000、000、000、000年に
一回しか起きないことだった。


下手なトレーダーが短期や中期ではうまいトレーダーより
生存しやすいことがわかる。


損失が起きる頻度や確率は、それ自体だけでは、もうぜんぜん関係ない。
結果の大きさと合わせて考えないといけない。


市場は上昇する可能性が高い(「私はブルだ」)けれど、
空売りするほうがいい(「ベアだ」)と思っていた。
というのは、下がった場合、大幅な下落になる可能性があるからだった。


オプションを買えば90%の割合(つまり頻度)で損をするという統計は、
残る10%のときに平均でいくら儲かるかを考えないと、
明らかに意味がない。


学生の平均点を計算するとき、教授が一番高い点と低い点を
はずれ値といって取り除いたりする。
(中略)
ファイナンスの人たちは、彼らのやり方を真似て、
めったに起きない事象を無視してしまった。
だから彼らは、稀な事象のせいで企業が倒産したりすることに気づかない。


問題なのは、私たちが最近の短い歴史から
あまりに多くのことを汲み取ろうとすることなのだ。


自分のパフォーマンスを頻繁に調べれば調べるほど、
変動性を高い解像度で見ることになり、苦しみも大きいのだった。
だから投資家たちは、ただただ情緒的な理由で、
変動するときには大きく変動するけれど、
ごく稀にしか変動しない投資戦略にひきつけられてしまうのだ。


金融工学者たちは、将来を予測する道具として
過去のデータを使い、リスクを計算する。
分布が定常的でない可能性があるというだけで、
彼らのやり方は完全に間違っていて、
そのうち高い代償を払うことになる


白い白鳥を何羽見ようと、すべての白鳥は白いと推論することはできない。
一方、黒い白鳥を一羽でも見かければ、その推論を棄却するのに十分である。


理論が正しいことがないのはなぜだろう?
白鳥はすべて白いとわかることは決してないからだ。


どういうことになったら間違っていたと証明されるかが
はっきり示されない理論は、いかさまのそしりをまぬがれない。


哲学者のパスカルは、人間にとって最適な戦略は
神の存在を信じることだと言った。
神が存在するなら信じるものは救われる。
神が存在しなくても信じるものはなんにも失わない。


無限大匹のサルをタイプライターの前に座らせて好きに叩かせると、
「イーリアス」を正確に書き上げるサルが確実に一匹は出る。


賭けに当たった人はお金持ちの有名人になって人前に出てくる。
賭けに負けたそれ以外の人は人前には現れず、分析対象から消えていく


コンピュータにデータを放り込んで、
なんでもいいから関係がないかと探せば、
一見関係あるものが間違いなく現れる。


タイプライターの文字の並び方は最適ではない。
容易にタイプできるように、ではなく、
タイプの早さを抑えられるようにああいう並び方になっている。


私たちの脳は非線形性を扱うようにはできていない。
たとえば二つの変数の間に因果関係がある場合は、
人は、原因のほうの変数が安定していれば
結果のほうの変数も必ず安定しているものだと思う。


人がオプションの価値を過小評価しがちなことに気づいた。
数学的な部分が完全にわかっていてさえ、人は、
ペイオフが不確実な金融商品を、正しく理解することができないのだ。


オプションの売り手には喜びを感じられる点が他にもある。
安定したリターンと安定して報われているという感覚だ。


このジャーナリストはまったくのノイズにすぎないものに
理由をつけられると言っているのだ。


価格変化の重要度は線形ではない。
2%の変化の重要度は1%の変化の2倍ではない。
むしろ4倍から10倍の感じだ。
7%の変化なら1%の変化の数十億倍も重要だ。


物差しでテーブルの長さを測っているとき、
とても信頼できる物差しでなければ、
同時にテーブルで物差しの長さを測っていることになる。


安易に因果関係を思い浮かべるというバイアスが私たちにはある。


私の脳と私の本能は一致していないのだ。


私たちは単なる動物で、必要なのは説教ではなく、
もっと下等なレベルの作戦なのだと認めなければいけない。


そんな特長が一番はっきりした有名人といえばジョージ・ソロスだ。
彼の強みの一つは、とてもすばやく、
一切ためらうことなく意見を変えられることだ。


能力があることをはっきりさせるには繰り返せるかどうかが鍵になる。


私たちはわかりやすくてはっきりした予定に合わせて
働くようにはできていないと思う。
むしろ消防士みたいな形が合っている。
呼び出しと呼び出しの間には、不確実性に守られて、
くつろいだり瞑想したりする休み時間がある。そんなスケジュールだ。


予測不能性は強力な抑止力なのである。


これだけバカにしたのにMBAの連中が
読者のかなりの部分を占めているのには驚いた。
彼らは単純に、私が言っているのは他のMBAの連中のことで
自分は違うと思っているのだ。






engineer_takafumi at 22:54│Comments(0)TrackBack(1)★一般書の書評 | ⇒ 経済・会計・お金

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