2008年12月29日

論文の書き方

今日は清水幾太郎氏の
論文の書き方
です。
論文の書き方 (岩波新書)

本書は書き方を学びたくて購入しました。

書き方の本としては古典的な名著といわれる本書です。

曖昧な「が」を警戒しよう、日本語の語順に気をつけよう。
経験と抽象との間の往復交通を忘れない。など、
古い本から新しい刺激を得ることができました。

また、著者は外国語にも造詣が深く、その知識を土台にした
日本語の分析はとても読み応えがありました。


最近の本と違い、読み手の努力を期待する部分も多く
少し読みにくい部分もありますが、
読破すれば、それをもって余りあるものが得られるでしょう。

文章を書いてみようと思う人は、
必ず一読した方が良いと思います。



日本語は、主語のない文章が平気で通用する世界である。
何が主語なのか、いくら考えても判らない。
個々の人間を包む雰囲気のようなものを
仮に主語と見なければならないような文章さえ行われる世界である。


流行語には、殆ど抗し難い力がある。
しかし、文章を書く時は、なるべく流行語を用いない方がよい。
多くの流行語には、特殊な事情の下に立つ新聞のいうものの
思想が浸み込んでいるからである。


一つの「が」を持っていれば、どんな文章でも楽に書ける。
しかし、私は、文章の勉強は、この重宝な「が」を
警戒するところから始まるものだと信じている。


外国語の勉強は、日本語で文章を書く上に
大きなプラスなのである。


会話で活発に表現してしまうと、
その問題の話し言葉による処理がいわば一つの溝になって、
精神がそこを流れて行くようになるという点が重要である。
(中略)
書くためには、精神がこの溝から抜け出さなければならない。


引用句によって、誰も読まない文献を読んでいることや、
広く知られている文献だが、
それを実に綿密に読んでいることなどが明らかになる。


言葉に使える詩人ではなく、言葉を使う散文家であろうとすれば、
語彙が豊か過ぎるのは一つの危険とも言える。
知っている言葉は多くても、使う時は、そこから慎重に選び出すことにして、
選び出した以上は、無闇に他の言葉で置き換えてはならないと思う。


抽象的用語が多くなれば、リポートが、特定の人間の経験から離れて行く。


抽象的用語については、西洋の人間の方が私たちより
遥かに有利であることは明らかである。
というのは、日本人にとって、経験との結びつきを欠いた抽象的用語であるのも、
外国人にとっては経験との結びつきを含んだ抽象的用語であるからである。


ビルマでもビルマ語で全部の教育をやりたいと思っているのだが、
日常生活の事柄はよいとして、少し学問的或いは抽象的な事柄になると、
これを言い現すビルマ語がない。


障子を距てることによって、話し言葉に伴い易い有利な条件を故意に除き去り、
言葉を孤立させ、これを一種の限界状況に立たせたのであった。






engineer_takafumi at 23:15│Comments(0)TrackBack(0)★一般書の書評 | ⇒ 書き方・話し方・言語

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