2007年09月26日

行動ファイナンス

本日はヨアヒム・ゴールドベルグ氏と
リュディガー・フォン・ニーチュ氏による
行動ファイナンス
です。


本書は行動ファイナンスについて勉強したくて購入しました。

最近は行動ファイナンスが注目されていて、
わかりやすい入門書なども沢山あります。

そんな中では、この本は教科書的なかっちりした本(訳書ですし)
というポジションになるかと思います。

確かに、少しとっつきにくいところもあるのですが、
価値関数(効用関数、つまり利益と人間の満足度の関係)に
ついてグラフを多用して説明してくれています。

結局のところ、行動ファイナンスの本質は
人間が不合理な選択を行うというより、
価値関数が線形でないから、
という表した方が適切なのではないでしょうか。

そのことが、良く理解できる一冊です。


行動ファイナンスの入門書を読んで、
すこし突っ込んで勉強してみたいな、
と思う人におすすめです。




テクニカル分析が長期的に生き残るためには、心理学
つまり、行動ファイナンスの理論にその基礎を求めるしかないだろう。


理屈から考えれば、合理的な冷徹一郎氏は、
セント・ペテルブルグのゲームを他のどんな確実なお金の
プレゼントよりも好むはずだ。
※セント・ペテルブルグのゲームとは期待値が無限大となるゲーム。


資産の変化に対する効用の評価は、資産の水準によって変わる


「下落したものは上昇する」という格言を信じている投資家は、
ギャンブラーの誤りの罠に陥る危険性がある。


すでにある程度投資を行ってしまったプロジェクトは、
損失を出していても心理的に打ち切り難いのである。


投資家は、高いリスクの株式投資で得られた利益が
安全資産への投資の利回りより低ければ相対的な損失と見なすだろう。


小さなリスクを過大評価する傾向は、日常の多くの場面で観察される。
保険会社はこの現象を利用して利益を得ている。


数多くの研究が、程度が同じならば人間は利益よりも
損失を強く感じることを示している。


成功し続けた人は「失う」ことの感覚を忘れ、
より大きなリスクを犯してしまう。


人は自分が特定の状況下ではコントロールを有していないことを
認めたくないという点にある。


リスク回避はつまるところ満たされぬ
「コントロールに対する欲求」の結果として生まれる。


「投機家(Speculator)」という言葉は、
ラテン語の「探す(Speculari)」にその起源を持つ。
つまり、投機家とは利益の上がるポジションを探す人を意味するのである。


他人の声に耳を傾けてはならない。他人は常に自分の成功体験しか話さない。


利益の増加が緩やかなことは、損失が近づいていることを
意味するわけではない。
同様に、損失の増加が緩やかなことは、
利益が近づいていることを意味するわけではない。


情報過多は避けなければならない。「情報=破滅」である。


「キリのよい数字」や「心理的水準」で注文を出してはならない。
皆がこの水準に注目しており、取引が非常に活発になる可能性が高いので、
トラブルに巻き込まれる可能性が高い。


高い的中率は必ずしも高い利益を意味しない。


成功が続いたからといってトレーディング・ボリュームを増やしてはならない。
失敗が続いたからといってトレーディング・ボリュームを
大きく減らしてもならない。


金融市場に友人はいない。
損失を認めたくない人間たちが、一時的に連帯するにすぎない。






engineer_takafumi at 23:26│Comments(0) ★一般書の書評 | ⇒ 経済・会計・お金

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