2010年05月07日

予定不調和

本日は長神 風二氏の
予定不調和
です。



Discover社が新たに創刊したサイエンスシリーズということで
興味を持って本書を購入しました。

この本はテクノロジーの本なのですが、
テクノロジー自体よりその影響に焦点を当てた、
非常に珍しい本になっています。

科学技術の発展、というと、
何か普通の人は立ち入れない世界、
普通の人の思いとはまるで無関係に進んでいく、
と思っているかもしれません。

しかし、実際は使用者の影響力は一番大きいものなのです。

例えば、テレビ電話は技術的には全く問題ありませんが、
一般にはほとんど使われていません。

その一方、テレビ会議システムは
今やほとんどの企業が所有している。
また、携帯電話で写真を撮ってメールに添付することは、
完全に我々の日常生活の一部になっています。

これらは、使用者が選んだことであって、
決して開発者が「押し付けた」ことではないのです。


科学技術の「闇」の部分もたくさん登場するのですが、
普通の人が科学技術について考える良い機会になります。

科学技術の発展に無力感を感じている人、
科学技術なんて日常の生活には関係ないと思っている人には、
ぜひ、手にとってもらいたい一冊です。



「新世紀エヴァンゲリオン」でも、有線の電話が何度か目についた。
携帯電話全盛の時代にいると、そこだけが突出して感じられる。


本質的には1980年代であっても、「やろうと思えばできた」ことなのだ。
それにもかかわらず、予測はできなかった。


「ドーピング」を行って、一部の生徒が定期試験を受けた場合、
周囲の生徒は、もはや使わずにはいられなくなるのではないだろうか。
つまり、ある意味使用しない自由が侵される、というわけだ。


たとえば、芸術的な才能を増強できるような遺伝子改変があったとして、
「そうしたい」と望んで、それを実行しようとする人に、
「いけない」という資格は誰にあるのだろうか?


40億年の実験の結果、チューンアップしないことを選択してきた部分に、
チューンアップを実施してしまうことがもたらす結果は、
本当に「幸せ」なものになるだろうか。


クーロンのように、ゲノム情報が同じ人間には、たとえば一卵性双生児があるが、
彼らがそもそも、同じ家庭環境で同じような教育を受けていても、
かなり違った個性を発揮することを、身近な例として知っている読者は多いはずだ。


どこの大学や研究所も、記録に残らないような形で、
クーロン実験などができる環境にはない。
SF映画にありがちな暴走する研究室は、
正直、現場を見ている目からするとあり得ない。


重篤であっても、その遺伝子を排除する、ということが、
その遺伝子を「悪いもの」と見なすということにつながり、
その遺伝子を持つ人に対する差別を助長する、という意見もある。
一種の優生学の思想と通じる、ということだ。
一方で、明確に病気と結びついている遺伝子を持つとわかっていれば、
それを避けられないのはむしろ弊害しかないのではないか、という意見も多い。


先に生まれた子の治療のために、次に生まれる子の遺伝子を選択する、
といった事例が、日本で報道されたことはあまり記憶にないが、
海外ではすでに行われている。


あの時点では、きちんと理解したつもりでした。
でも、今、こうして数年経って起こっていることは、
あそこで、同意したでしょう、といわれて、はい、そうですね、
というだけで済むことではないと思うのです。


あるグループの報告によると、ヒトの睡眠時間が短くなると、
行動の選択において、よりギャンブル性の高い、
ハイリスクな選択をするようになる傾向が見られる、とのことである。


目の悪い人がメガネをかけたり、コンタクトレンズをしたりするのは、
当たり前のこととして許容されている。
けれど、視力2.0を大きく超えるようなものを使っていたりすれば、
何のため?と眉をひそめるだろう。


わたしたちは、固定電話がテレビ電話になることを選ばなかったが、
テレビ会議システムは普及し、携帯電話は写真を撮ってメールに添付して、
共有することが主たる目的の一つの道具になった。


先端の科学技術は、人々の思いとはまるで無関係に
進んでいくように思われているふしがある。
だが、人々が受け入れられないならば、人々は使わず、
そしてその技術はすたれていく。





engineer_takafumi at 22:46│Comments(0) ★理系本の書評 | ⇒ 一般・その他の科学

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