2010年05月01日

原発とプルトニウム

本日は常石 敬一氏の
原発とプルトニウム
です。
原発とプルトニウム (PHPサイエンス・ワールド新書)

当面PHPサイエンス・ワールドは全てチェックしようと思い、
本書を購入しました。

この本では、主に、放射線の発明から
原爆の開発までの歴史が描かれています。

類書は他にも何冊かあるのですが、この歴史が取り上げられる背景は
人類にとってパンドラの箱を開けてしまった、
という重大性があるということに加えて、
これを期に、物理の研究が大きく変わってしまった、
という歴史的背景があります。

つまり、原爆の発明以前は個人の研究者の好奇心が
研究の大きな原動力になっていたのに対し、
発明以後は国家の力が推進力となって(軍事的用途)、
研究者グループを動かす、という形式に変わってしまいました。
予算としても、個人で抱えきれる限界を完全に超えてしまいました。

その変化の瞬間というものが、この本には克明に描かれています。


科学史や科学哲学に興味のある方、原発に興味のある方には
必見の一冊だと思います。

ただし、私見では、この本は原子力利用に反対の立場に
傾斜しているように見えるので、公平な判断には注意が必要です。




なぜプルサーマルという方式で(プルトニウムを)減らさなければならないのか。
減らす必要性の一つは外交圧力で、諸外国から
「日本は原爆を作るつもりではないか」
という疑いをかけられないようにするためだ。


プルサーマルという方法で、原子炉で燃焼したほうが
時間もかからず簡単、ということがある。


「できる」と分かれば、どうすればよいかは人それぞれに工夫し、
ゴールに到達するのはそう困難ではない。
難しいのは「できるのかどうか」が分からない事実・現象に
出合ったときに、進むか退くかの判断だ。


彼がスパイとなった動機は、社会的信条や政治的信条から、
ともにドイツと戦うソ連に情報を流さないことを、
真理探究の結果得られる分け前の公平な配分という点で、
疑問視していたことにあったようだ。


プルトニウム生産が容易な原子炉が、
民間利用の発電所と称して設置されているというケースもある。
具体的には、北朝鮮のケースである。


実験用のクルジウス管一本を入手することは困難でも、
兵器製造用であれば十万本でも入手可能だろうという見通しだった。


原爆実験を目の前でやってみようという実験だった。
当然、危険性は高く、その実験は
「眠っている竜の尻尾をくすぐるようなもの」と形容された。
ロスアラモスではこの実験は「ドラゴン実験」と呼ばれていた。


複数でやっていてば事故は防げたかもしれない。
しかし事故が起きた場合は、被害者の数をふやしただけかもしれない。
この点は放射能による事故の安全策上の難しい課題だ。


原爆製造は一つの分水界となった。
戦争が終わったとき、物理学の世界ではすっかり以前とは変わってしまった
(中略)
否応なしに巨大科学の時代が到来したのである。


科学研究では、その目標が達成可能なことなのかどうなのかの見極めを
つけるまでが一大事業なのだ。


一般に言われるのは、施設が出す放射性物質でみると再処理工場は
「原発一年分を一日で出す」ということだ。





engineer_takafumi at 09:28│Comments(0)TrackBack(0)★理系本の書評 | ⇒ 原子力・放射能

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