2010年10月01日

デュシャンは語る

本日はマルセル デュシャン氏の
デュシャンは語る
です。


本書は芸術の価値について知りたいと思い購入しました。

デュシャンというのは、フランス生まれでアメリカで活躍した
20世紀を代表する美術家です。

彼は既成の物に若干手を加えただけの、
レディ・メイドというものを数多く発表しました。

その中でも、普通の便器に自分のサインだけをして、
美術作品とした「泉」が有名です。

一体なぜ、こんなものに価値が生まれるのでしょうか?
確かにインパクトはあるかもしれませんが、
芸術とは本当に奥深い世界です。


この本を読んでも、その理由はわかりませんでした。
ただ、デュシャンは「その人生こそが芸術」と呼ばれる人物です、
今までの自分の芸術観が間違えていそうなことはわかりました。

著者へのインタビュー形式になっているのですが、
時代背景や美術史を知らないと内容は理解できないでしょう。

でも、インスピレーションは与えてくれると思いますので、
あまり気負いせず、さらさら読むのが良いのではないでしょうか。




レディ・メイドの選択は常に視覚的な無関心、
そしてそれと同時に好悪をとわずあらゆる趣味の欠如に基づいています。


それは一本の雪かきシャベルで、確かに私はその上にそんな文章を書きました。
もちろん、私はそれが何の意味ももたないことを望んでいたのですが、
実際は何かしら意味を持ってしまうものですね。


人間は死すべきものです。絵も同じです。


私にとって美術史とは、美術館に残されたある時代のもののことです。
しかしそれは必ずしもその時代の最良のものとはかぎりませんし、
実際にはおそらくその時代の凡庸さを示すものでさえあるでしょう。
なぜなら、美しいものは、人びとが保存しようと思わないために、
消え去ってしまうからなのです。


後世の人間は、チマブエはレンブランドが描いたものだから
それはとてもいいものなのだ、と決めつけてしまいます。
すると、チマブエのごくつまらない絵までもが、
たいへんに賞賛されることになる。
私はよく知らないが、しかし確かに存在している彼が描いた
三つ、四つのものに比べれば、そんなものは汚いがらくたです。
こうした法則を、私は全ての芸術家に適用します。


人に知られてはじめて、芸術家は存在するのです。


作品を見る者にも、作品をつくる者を同じだけの重要性を与えるのです。


見る人こそが美術館をつくり、美術館に収蔵されるものを決めるのです。


ひびがはいって、ずっと良くなりました。百倍も良くなった。
それが、ものの運命というものです。


生計というのは、稼ぐことより、むしろ消費の問題なのです。
何を必要として生きたいのかを知ることなのです。


思い出が暖め直されると、よく見えるようになります。
時間的な継起がわかります。
まさに、死んで、自分の人生が背後にある人のようです。





engineer_takafumi at 06:41│Comments(0) ★一般書の書評 | ⇒ クリエイティブ

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