2010年09月15日

芸術起業論

本日は村上隆氏の
芸術起業論
です。


本書は芸術の価値や評価について知りたくて購入しました。


例えば、ある科学的な方法で、
ある名画を物質的に全く同じものにコピーしたとします。

それは物質的には全く同じものではあるのですが、
市場価値はオリジナルと比較すると
何百分の(いや何千分の)1となるでしょう。

当然のことではあるのですが、
アートの価値とは物質的なものとは全く別のところにあるのです。


ここまでは、誰でもわかると思うのですが、
それではその物質的なものを超えた価値とは何か?
それを説明できる人はほとんどいないのではないでしょうか。


本書では、それを的確に説明してくれます。

一言でいうと、ある作品が芸術の歴史の中で、
どのような位置づけにあり、芸術の歴史をどう変えたのか
それが価値となるのです。

逆に言えば、歴史を無視した自分勝手な作品は
アートの世界では無価値だということです。


アートに関する話は、どうしても感性などという言葉で
ごまかされてしまいがちなのですが、
この本に関してはそういうところは全くありません。

これまでアートに縁のなかったビジネスマンが
アートを理解したいと思ったとき、
真っ先に手に取るべき一冊でしょう。



欧米を中心とした芸術の世界で取引されているのは、人の心です。


お金のない時の動きというのはそういうものです。
何をするにも異様に時間がかかる。


僕は美術大学を反面教師にすることで生きのびて、
芸術の核心は自分で見つけましたが、
発見したのは「芸術をやる目的」でした。


欧米で芸術作品を制作する上での不文律は、
「作品を通して世界芸術史での文脈を作ること」です。


日本は好き嫌いで芸術作品を見る人が大半ですが、これは危険な態度です。
主観だけで判断するなら、
目の前にある作品の真価は無に等しくなってしまいます。


コレクターは売買に賭けるので、金銭を賭けるに足る
「商品の物語」を必要としています。


現代美術の評価の基準は「概念の創造」ですから、
言葉を重視しなければなりません。


価値観の違う人にも話しかけなければ、未来は何も変わらない。


お客さんが消費するには、幹だけでなく枝葉が必要なのです。


「おもしろくないのにみんなが見る」というのは、
これこそ、まさに、アートですよね。


日本での芸術は解釈できないものであり、
つまり理解されないことは当然なので怖くはありませんが、
かわりに大きな権威に理解されるよろこびもないのです。


『Hiropon』に4800万円の値段がついたときに「元祖」として認識されたからこそ、
何もウケていなかった『Miss ko2』は、オークションで突発的に
6800万円で落札されることになったのです。


ものを伝えることは娯楽だと割りきらなければなりません。


歴史を学んだら、どうなるか。
人々がどういう接点を持つのかを選択していくことができます。


ルールを改変されたときに「ずるいよ」と言うのではなくて
「そうだよね」と言える準備を整えていかないと
日本人は欧米特有の社会に対抗できないでしょう。


今の日本お知的芸術資源は「かわいい」と「オタク」


日本人の敗戦後の「基盤を抜きとられた世界観」は、
今後世界中で共感を受ける文化としてひろがるのではないでしょうか。


「死んだ芸術家のシナリオを後世の人が自由に書き直せる」
という意味でのみ芸術家は自由であるとさえ言えそうなのです。






engineer_takafumi at 06:35│Comments(0) ★一般書の書評 | ⇒ クリエイティブ

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