2011年11月08日

地球外生命を求めて

本日はマーク・カウフマン氏の
地球外生命を求めて
です。


当面ディスカヴァーサイエンスシリーズは
全部チェックしようと思い、本書を購入しました。


宇宙人っているのだろうか?
誰しも子どもの頃、こんな疑問を持ったことでしょう。

本書はそんなSFのような疑問に
真面目にとりくむ科学者たちを描いたものです。

火星への探査、宇宙に漂う電波を解析するなど
色々な努力が続けられています。

でも、私の印象では、まだまだという感じですね。
やはり、宇宙はあまりに広大で調査といっても
ままならないというのが現状のようです。


また、生命を探すためには、
あらためて生命を定義する必要があります。

地球上で生命というと、ある程度自明なのですが、
宇宙に目を向けると、我々人類とは全く異なった形態で
「生存」している「生命」が存在しているかもしれません。

ですので、何をもって「生命」か、ということが重要なわけです。

ただし、この問題に対しても、
現状では「生命」を定義することは不可能だと主張する
科学者もいるようで、我々人類のアプローチはまだまだのようです。


これらの視点を与えてくれたという意味で
とても興味深い本でした。

ただ、科学分野の訳本の読みづらさはあります。
やはり、訳者の方が正確さや厳密さを優先されるあまり
どうしても読みづらくなってしまうのですよね。

宇宙に関心が深い方、
生命とは何か?という定義に関心のある方には
必読の一冊だと思います。




そこでは「超好熱菌」が、大気圧の400倍もの高圧と、
噴出口では摂氏400度近くに達する高温ももとで生きているのだ。


クリーランドやチャイバもような人々は、「生命の定義」に必要な
基本的知識すらないのが現状ではないかと主張する―
水の定義に欠かせない、基本的な原子の性質すらわかっていなかった
中世と変わらないのではないかと。


わたしにはNASAのトップが堕胎の是非を審理する最高裁によばれ、
生命を定義するように求められている姿がはっきり見えます。
そしてそのあとには気詰まりな沈黙が、えんえんと続くことでしょう。


生命はどうやってそれを決めたのか?
生命はどうして右利きではなく、左利きのアミノ酸を選んだのか


地球外の生物について、隕石からなにかを学びとるのは不可能なんです。
地球上での介入が、なにしろ多過ぎますからね。


科学者たちのなかには、マルチヴァースのアイデアは
まっとうな科学とはよべないと主張する向きもある。
現時点では検証することも反証をあげることもできず、
おそらくはこの先もできないだろうからだ。


魚は無数の卵を産みますが、実際に生きのびて成長するのは、
そのうちのごくわずかでしかないことを考えてください。
にもかかわらず、あなたの先祖の中には、
失敗した魚は一匹たりともいないのです。


重力のような法則があるおかげで、宇宙は無から生成できるのです。
宇宙の自発的生成が、なぜ宇宙が存在するのか、
なぜ私たちが存在するのかという問題に対する答えです。
宇宙を生成して発展させるのに神に訴える必要はないのです。


もし宇宙の他の場所に生命が存在したら、
キリスト教徒たちはどえらい苦境に立たされることになる







engineer_takafumi at 05:11│Comments(0) ★理系本の書評 | ⇒ 地学・環境・宇宙

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