2012年01月10日

複雑さと共に暮らす

本日はD.A.ノーマン氏の
複雑さと共に暮らす
です。
複雑さと共に暮らす―デザインの挑戦

本書はヒューマンインタフェースで有名な本
「誰のためのデザイン」の著者の新刊だったので
興味を持って購入しました。


最近の製品は操作方法が複雑すぎて良くわからない。
もっとシンプルで簡単な製品を作ってくれればいいのに。

よく携帯や家電などにこんな文句を言う人がいます。

しかし、なぜそんな製品が世の中に出ないのでしょうか?
そもそも、彼らの言う複雑というのは、
どういうことなのでしょうか?

これは、つきつめると非常に難しい問題です。
そして、本書はこんな問題を分かりやすく説明してくれます。


その中でも、一番感銘を受けたのは、
複雑さと分かりやすさを区別する考え方でした。

普通、分かりやすいものは単純なものである、と
複雑であっても分かりやすくすることは可能であり、
逆に単純であっても分かりにくいものは存在するのです。

テクノロジーが複雑になっていくのは避けられないものです。
その中でどうやって分かりやすいものにするかが
デザイナーの力量が問われるところなのです。


得るところの多かった本ではありますが、
やっぱり訳本ならではの読みにくさが
気になってしまいました。
本当は原著を読むべきなのでしょうかね。


製造業に関係する人であれば一読の価値があります。
もちろん、エンジニアは必読です。





テクノロジーにおける複雑さは必要であり、かつ良いことなのだ。
(中略)
複雑さは良いのだが、分かりにくいのはいけない。
つまり、複雑なものと混乱しているものを区別しなければならない。


当時アップルの副社長だったラリー・テスラーが
システムの全体の複雑さは一定である、ということを主張した。
人とのインタラクションをより簡潔にすると、
背後にある潜在的な複雑さが増大するというのである。


ユーザーに使いやすくすればするほど、
デザイナーやエンジニアにとってより難しくなる、ということである。


多くのデザイナーは、簡単さということを見かけが簡単なものと同一視しているが、
見かけが簡単なものが常に使い方が簡単だと言えるわけではない。


目に見えるボタンなどの制御部やディスプレイの数が増えれば、
知覚される簡単さは減る。
目に見える操作の選択肢を増やすと、知覚される簡単さは減少するのである。
だが問題は、制御部やディスプレイをより多くすると、
操作の簡易性を劇的に向上できるということである。
モノを学習したり使ったりするのを簡単にすること自体が、
そのモノがより難しくなったと見えてしまう可能性がある。
このパラドックスはデザイナーにとっての難問だ。


複雑さは必要であることが多い。
複雑であっても分かりにくくならないようにするのが、デザインの課題なのだ。


選択できるときには、人々はより多くのことをやれるものを選ぶ。
その機能が複雑さの元になることを知っていても、
人々は簡単さよりも機能をとる。


標識や説明書きが装置についていれば、それは悪いデザインの印だ。


なぜ人は芝生や花壇を横切るのか。
歩道や通路が彼らが必要とする場所にないからだ。


いくつかの研究では、間違ったことをきちんと正した会社は、
間違いをまったく犯したことのない会社よりも好まれるという結果もある。


サービスの担当者は、
必ず顧客の見えないところで休憩をとらなければならない。


全体を支配するのは終わりのときの記憶なのである。
この実験の教訓は明確である。常に前向きな終わり方をすること。


客は、各列の前にそれぞれ窓口があるよりも、
一本の列で複数の窓口がある方に公平感を感じる


多くの場所で、ビルの地上階より高い階から地下へ続けて下りる
階段を設置することは違法である。


最も良心的な販売員でさえも、目の前の顧客のニーズに注目するよりも、
非常に高度な製品の持つ機能や性能の虜になってしまうのである。


評論家は知りすぎている。
平均的な家庭のニーズを考えようと努力する人が少ないというのも、
彼らが対象としている産業についてあまりにも専門家になりすぎているため、
そうすることが難しいのである。






engineer_takafumi at 00:02│Comments(0)TrackBack(0)★理系本の書評 | ⇒ その他の工学

トラックバックURL

コメントする

名前
URL
 
  絵文字