2012年08月16日

世界史

本日はウィリアム・H. マクニールの
世界史
です。
世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)世界史 下 (中公文庫 マ 10-4)

本書は大学の生協で売れている歴史書と知り、
興味を持って購入しました。


日本史とは違い、世界史には独特の難しさがあります。

というのも、地域が広範囲にわたるので、
地域別の時系列の歴史のほかに、
地域間で相互に与えた影響も考えないといけないからです。

つまり、例えば、中国史、ヨーロッパ史単体では
時代の流れをつかんでいけば良いだけですが、
世界史という学問では、中国での出来事が
ヨーロッパにどのような影響を与えたか、
といったことが問われることになるのです。

そして、これは高校の授業などでは
あまり重視されていない部分です。

本書では、各地域ごとの時系列の歴史よりも、
地域間の相互作用や歴史全体を俯瞰が書かれており、
高校の教科書を超えた歴史を学べます。

ただ、基本的な用語などの解説はないので、
世界史の基本知識がない状態では
内容を理解することはできないでしょう。

私も高校では一通り世界史を勉強したのですが、
得意な時代や地域しか、すんなり頭に入りませんでした。


世界史を学び直したいと考える人には
お勧めの一冊です。

ただし、直したい、というのがポイントで、
最初から勉強する本には適していないでしょう。





いついかなる時代にあっても、世界の諸文化間の均衡は、
人間が他にぬきんでて魅力的で強力な文明を作りあげるのに成功したとき、
その文明の中心から発する力によって撹乱される傾向がある


完全な人間の集団と、それ以前の人間に似た生物との間の大きなちがいは、
幼児期と少年期の長さにある。


遊牧民は農耕民とぶつかり合って戦うときには、
いつも決定的に有利だった。


現代のカーストとは、一緒に食事し結婚を行うが、
他所者はこのふたつのことからしめだす人々の集団を言う


社会全体がこのような原理で組織されるようになると、
他所者とか侵入者の集団はすべて自動的に新しいカーストとなる。


カーストは、政治的、領土的な行政の重要性をうすくした。
あらゆる人間が、なによりもまずカーストによって自己を固定した。


国家よりむしろカーストに属するという意識の強い人々から、
どんな王にしても統治者にしても、純粋な忠誠を得ることはできなかった。
実際、すべてのふつうのカースト成員にとっては、
統治者とか役人とか軍人とか徴税人とかは、
たんなるやっかいな外来者にすぎず、必要な範囲内で言うことをきき、
可能な限り無視しておけばいい、と思われたのだ。


中国文明は、その初期において、基本的技術を少なくとも間接的に
西アジアから学んだ侵入者と接触して影響を受けている。


聖人孔子は、ほんとうのところ、自分を失敗者として見なしていた。
なぜなら彼は一度も政につくことを求められなかったからである。


紀元前500年から、紀元1500年までの約2000年間には、
世界の文明生活の中心地のどれかひとつだけが、
一頭地を抜きんでるということはまったくなかった。


真の意味で西欧世界が他の主要な文明に対する圧倒的な優勢を確立するのは、
近々、1850年以降のことにすぎない。


もしアジアに、インド人を中国人、日本人、朝鮮人、蒙古人、
チベット人、ビルマ人、カンボジア人、セイロン人と結びつける
共通の文化的伝統が存在しているとすれば、それは古代インド文明、
特にその宗教的表現の及ぼした感化の結果にほかならない。
ヘレニズムの成果もこれほど巨大ではなかった。


蛮族が建てた国家の基本的な欠陥はどこでも同じだった。
支配者たちはとうてい両立できなふたつのことを同時に行おうとしたのである。
(中略)
征服者が文明化すればするほど、
以前の部族的、戦士仲間的な伝統は薄れていった。
安楽な生活と悪徳が、一世代か二世代の間に、
蛮族特有の活力と力強い好戦性を徐々に蝕んでしまうのであった。


アラブ人は、新改宗者に対してとかく軽蔑の目を向け、
マホメットの教えの明確な規定にもかかわらず、
彼らをイスラム教の共同体の完全に平等な一員として
扱いたがらない傾きがあった。


『コーラン』と聖伝と立法の細目についての正確な知識で
人々の尊敬を受けている学者が、主要都市には必ずいて、
人々が持ち込む良心の問題について判断を下してくれたからである。
こうして、個人や個人の生活に関する政府の仕事の多くが、
これらの専門的宗教家の立法の手に移されたのである。
(中略)
それに比べれば、中央政府を動かし、税を徴収し、国境を防衛し、
豪奢な宮廷生活を享受しているのが、今一体だれなのかなどということは
たいした問題ではなかった。


イスラム教は、その先駆であるユダヤ教やキリスト教の持つ
教義上の不寛容性を受け継ぎ、一層徹底させたのである。


この時示された、外国の文物に対する日本人の精力的な熱狂性は、
それ以後の時代にも何度かくりかえされ、
その度に日本の歴史は急激な転換を見せたが、
これはほかには見られない、まったく日本史だけの特徴である。


イスラムの科学は1200年頃を境にして衰退してしまった。


中国の文化と諸制度は、あまりにも高い内的完成度を均衡を得てしまったので、
二十世紀になってようやく生じたような、
いわば徹底的な社会の崩壊を伴わないかぎり、
何事であろうとも、中国の学問伝統の担い手たちには
表面的、一時的な印象以上のものを与えることができなかった。


日本史の大きな変化が他者の作り上げた環境に対応して起こったのに対し、
ヨーロッパ人のそれは、主として自分自身の仲に生まれた
矛盾や機会に反応して行われたのである。


1500年までに、日本の社会と文化は、
その複雑さと強靭さと極度の洗練性において、
旧大陸の他の文明社会に伍して劣らないものになっていた。
だが、日本文化の担い手が比較的大きな種族的等質性をもっていたこと、
および比較的小さな、孤立した地理的範囲に限定されていたこと
などが原因で、この新しい文明は、充分な発達を阻害された。


近代とそれ以前を分けるには、大概の歴史的指標よりは
1500年という年が便利である。


スペイン帝国の中に組み入れられたアメリカ原住民の諸地域の人口は、
1500年には五千万人位であったと思われるが、
それが1650年ごろまでにたった四百万人にまで減少してしまった。
しかもこれはスペインの移住者を勘定に入れての話である!


日本やアフガニスタンのように、
支配層と一般民衆が同一の民族であった地域では、
西欧の圧力に対してはるかに効果的な抵抗が見られた。


実際のところ、帝国主義というのは現金に換算してみると、
全体としては引き合わなかったのはたしかなようだ。


敗戦を納得のゆくように説明すると、
聖なる法典に記された神の意思に従わなかったから神は罰された、
ということになるからである。







engineer_takafumi at 01:18│Comments(0)TrackBack(0) ★一般書の書評 | ⇒ その他の本

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字