2012年07月13日

福島原発事故独立検証委員会 調査検証報告書

本日は
福島原発事故独立検証委員会 調査検証報告書
です。
福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書

本書は福島の事故について報告書が出版されたと聞き
ぜひ読みたいと思い購入しました。


福島の原発事故は、大量の住民に長期の避難を強いるなど
影響が大きく許されないものです。

ただ、この報告書を読んでみると、
「この国にはやっぱり神様がついていると心から思った」
という官邸のスタッフのコメントからわかるように、
この事故の規模の割には、影響は少なくてすんだ
ということを感じました。


また、当時に事態の収拾にあたった菅首相を初め
政府のスタッフ達の動きについては、
悪いことばかり強調されて報道されていますが、
評価されるべき部分も多数あったのです。

この悲惨な事故を何らかの教訓として後世に伝えるには、
ダメだったこと、良かったことを
それぞれ徹底的に分析していく必要があるのです。

そんな意味では、公機関から離れて、
独自に調査が行われ、その結果を誰でも入手できるという
日本はまだまだ捨てたものではないと感じます。


ただ、残念なのがこの調査では東京電力の経営陣が
取材に応じていないということです。

第一の当事者である東電を十分調査できていなければ
その調査は片手落ちといえるのかもしれません。

公の調査では、東電の経営陣含めて調査が行われ
徹底的に分析して欲しいと思います。


調査報告書なので、読みやすいものではありませんが、
流し読みでも読んでおく価値はあるでしょう。

原発事故から何かを学びたい人には
必読の一冊です。




2011年12月6日付けのニューヨーク・タイムズ紙の記事に見るように
この大規模な除染活動の経済に与える影響や、
無用の長物(White elephant)になってしまう可能性を指摘する意見もある。


米国では規制がされているようなラドンについて、
その効用をうたった温泉(ラドン温泉)を利用したりするような
感覚も持ち合わせていることも事実だ。


官邸が電源車を手配したにもかかわらず、11日夜から12日にかけて
電源車につなぐコードがないなどの報告があり、
手配した電源車は役に立たなかった。
なお、枝野長官は後に
「率直に申し上げて東京電力に対する不信はそれぐらいから始まっている」
と述べている。


格納容器から原子炉建屋へ水素が漏れる事態を
想定していなかったためであるが、
12日に1号機で水素爆発が起こると斑目委員長は
一気に菅首相の信頼を失うことになった。


再説明の機会に菅首相に疑念を抱かせないための
各自の発言内容の確認と入念なリハーサルが行われた。


今回の危機では、使用済み燃料プールがもっとも怖かった。
最終処分場地のないことがその背景にある。


事故直後の現場の情報収集と対応に右往左往した
当時の官邸の様子を振り返り、「一つのボールに集中しすぎた」と
子供のサッカーにたとえてみせた。


官邸による現場介入と考えられる個別の事例を検証すると、
15日の撤退拒否と対策統合本部設置及びその後の対策統合本部を舞台とした
アクシデント・マネジメントについては、一定の効果があったものと評価される。
他方、少なくとも15日の対策統合本部設置までの間は、
官邸による現場のアクシデント・マネジメントへの介入が事故対応として
有効だった事例は少なく、ほとんどの場合、全く影響を与えていないか、
無用な混乱やストレスにより状況を悪化させるリスクを高めていたものと考える。


総理のスタイルは、トップダウンで、自分が前に出て情報をとって、
自分で判断を下すというスタイルです。


首相がそんな細かいことを聞くというのは、国としてどうなのかとぞっとした


直に聞かれると細野さんも10分とか20分とか中断して
説明しなくてはいけなくなる。
それが統合本部の士気を低下させるから、
なるべく菅さんに出てこないように言って欲しいと何人かの人から頼まれた。


本来国の危機管理の最高責任者が代替バッテリーのサイズ確認に
自ら奔走するという事態は到底望ましい状態とはいいがたい。


菅首相の前で大きな声で元気よく言える人は、相当の心臓の持ち主


こうした首相の強い態度を前に、官邸中枢チームの政務メンバーの中でも、
本心では菅首相の判断に異論がありつつも、
強く反対することを躊躇していた様子もうかがわれる。


一連の原発事故対応からは、危機が起きた際には、
平時とは異なる柔軟な人事を遂行し、
早急にベストな布陣に組み替えることの重要性が教訓として浮かび上がる。


重要な意思決定の場に臨席していたのは、
原子力安全委員会という組織の代表ではなく、
「私一人です」と斑目委員長は述べる。


もともとそんなことは屁とも思わない人たちです。
自己責任のある世界で生きている人たちだから、
多分全然気にしていないし、影響も受けていないと思う。
むしろ、一番おたおたしていたのは板挟みになった本店ではないか。


時間的切迫状況の中、こうした難解な専門用語を平易な日本語へ
翻訳する作業は、保安院の安井審議官や放医研の酒井教授などの
ごく少数のアドバイザーとの間の駆け足の議論又は
ほぼ枝野長官のアドリブに近い状態で進めざるを得ない実情であった。


諸外国、とりわけトモダチ作戦を展開してくれた米国に対して、
日本がリスクを負って原発事故に対処しているところを
見せたことだといえるかもしれない。


深刻な原子力災害において、放出源情報が常に、また確実に
得られるとは考えにくい。


放出源情報が分かっていない段階でのシミュレーションは、
シミュレーションに値するものではないので、
報告する必要がないと判断した


むやみに避難指示区域を広げてしまうと、避難経路での交通渋滞が生じ、
よりリスクの高い原発周辺の住民が迅速に避難できない状況に
なってしまう可能性が高く、また、お年寄りや病院の入院患者など、
自力での避難が難しい住民の避難支援は
広域避難ではきわめて難しいものとなる。
さらに、避難住民の受入先も限られていることを考えると、「半径20km」という
距離は妥当な判断であったということもできそうだ。


従来のマニュアルや計画では、原発事故によって町外に住民が避難することは、
事実上想定されておらず、屋内退避、あるいは町内公共施設への逃避のみ
具体的な計画が作成されていた。


このような「誤認」の背景には、それまで行われていた原子力防災訓練の想定が、
いわば「逆機能」を果たし、「認知バイアス」を生じさせた事が指摘できる。


事故直後、多くの自治体職員や住民が「大したことではない」、
「1日、2日で帰れる」と考えたのは、
こうした訓練の逆機能による部分が大きい。


今回の事故において、浪江町、大熊町、樽葉町、富岡町とも、
主要な情報入手の手段は、「テレビ報道だった」という点で共通している。


原発の立地自治体が「安全」であることを要求し、
「防災はおろか、そのような事故自体があってはならない」とも考えていた。


アメリカでは、原発周辺地域の安全地帯であるグリーンベルトが
設定されているのに対して、日本では立ち退きに反対する住民感情に配慮する形で
その構想自体を取りやめ、住民の移住なしに原発を立地することとなった。


科学技術庁はJCO事故でつぶれたようなものだから、
傘下に入った保安院の安全規制をちゃんとした体制で行わないと、
経産省もつぶれかねないという危機感があった。


(保安院の)キャリア官僚のほどんどが2〜3年の人事異動で
経産省との間を行き来し、職員のスペシャリスト化が進ます、
政策の継続性も乏しかった。


原発の検査は形式だけの『儀式』。
手順を見るだけの行為が本当の検査といえるのか


今の検査はどんどん細かいところに入り込んで、
まさに『木を見て森を見ず』の状態になっている。
チェック漏れがあると社会的に叩かれるから、漏れがないように
どんどんチェックリストを増やして、見たかどうかを確認していく。
結局、悪循環になり、チェックしたかどうかが検査になる。


東電社員がデータ改ざんを行った背景には、国の規制の問題があった。
米国には、軽度の損傷であれば運転を継続できる「維持基準」と
呼ばれる基準があったが、日本ではこれがなかったため、
部品は絶えず「新品同様」であることが求められた。


原子力部門の社員たちが原子力トラブルに対する社会的重圧と、
原子力のことは自分たちが一番わかっているという過信が、
安全性に問題がなければ(トラブルを)報告しなくていい、
という誤った考えを生んだ


東電では、総務と企画など事務系が主流で、
技術系の集団である原子力部門はいわば「傍流」だった。
他の電力会社と異なり、東電では技術系役員が社長に就いたことはない。


原子力部門は東電内でも「稼ぎ頭」であるのに、原発のトラブルが続くと、
他の火力部門などに燃料調達などのしわ寄せがいくため、
常に原発の稼働率をあげなければいけないというプレッシャーが大きい。
そのため、立地自治体が反応するトラブル情報は表に出さず、
自分たちで判断・処理しようとしてますます閉鎖的になる傾向があった。


さらに、原子力部門の中でさえ、
電気や機械の専門家が中心の保修・点検部門と、
原子炉専門家中心の技術部門との間に情報の分断があり、
データ改ざんは保修部門で行われていたという。


日本原電では、津波の知見を踏まえ、茨城県の指摘を受けて
東海村の「東海第二原発」の防波堤をかさ上げしていたため、
ぎりぎりで機器が浸水を逃れ、東電と明暗を分けた。


東電の安全対策は他社と比べて最低ラインでやっている


80年代までは国に言われなくても自分たちでやるというような
意気込みがあり、原子力の安全設計思想や過去の事故例を学び、
改良や改善に取り組む中で人が育ってきた。
だが90年代に入ると、原発の業務の中心が保修や運転になり、
安全設計などの実務から遠ざかった、業務や人的な質の変化は
安全確保の取り組みにも影響を与えたのではないか


日本の考える国際協力とは、むしろ、支援の側に立ったものであった。
制度上、原子炉の運転上の問題点を他国と対等相互に、
そして活発に指摘し合うような環境にはなかったものと考えられる。


福島第一原発の吉田所長や東電本社は、ICが作動していると思いこみ、
冷却機能が途絶えたことに迅速に気づかなかった。


3月11日から12日10時まで、東京電力では、
会長と社長の経営トップ2人が本店を同時に空けていた。


東海第二原発では津波の想定される高さを上げ、
海水ポンプの津波対策を強化していた。


(原子力安全・保安院は)東電を規制しているようで、道具にされている


安全規制とは、政治家にとっても行政官にとっても、
「得点」になりにくい分野である。


今回の並行連鎖原災の中で、
4号機の燃料プールがもっとも「弱い環」であったことは示唆的である。


東京電力は我々の経営陣に対するインタビューを拒否した。







engineer_takafumi at 02:47│Comments(0)TrackBack(0)★理系本の書評 | ⇒ 原子力・放射能

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