2013年03月31日

広告論講義

本日は天野祐吉氏の
広告論講義
です。
広告論講義

本書は20世紀の広告論の名著として興味を持ち購入しました。

本書は1900年のパリ万博に始まります。
それからT型フォード、ヒトラー、アポロの月面着陸、
最後はカップヌードルの"hungry!"のCMで終わります。

この100年で扱う商品や広告メディアは
全く違うものとなりました。

しかし、広告の本質というものは
意外なほどに変わっていないのですね。

アフィリエイトやキーワード広告、
先進の広告を扱っていても、広告の歴史を学ぶことは
意義深いことだと思います。


個人的にはヒトラーの章が興味深かったです。
彼は20世紀の歴史の代表的な暗部ではありますが、
広告という観点ではゲッペルスとあわせて
非常に学ぶことが多いのです。

特に、ヒトラーはラジオの人であり、
もしテレビがあったら小柄な男が熱っぽく
語っているだけに見えただろう、
という部分が印象に残りました。


ベーシックですが、広告に携わる人には
必見の一冊だと思います。
特に、広告業界を目指す学生などに
良いのではないでしょうか。




四国八十八か所めぐりというのは、日本の本格的なパッケージツアーの
元祖ではないかと、ぼくは考えています。


おどろおどろしい力を持った初期の商標にくらべると、
いまどきの商標は、どうもひ弱い。言葉がない。呪力がない。


いまそれを買いたいと思っている人だけに届くのでは、
広告は全くペイしない。


その国家の体制が変われば、教科書も変わってくるのはある程度はやむおえない。
ただ、問題はそのやり方であって、都合が悪いなら、
教科書を全部回収して総とっかえにすればいい。
それを一人ひとりの子どもに墨を塗らせるというやり方は
あまりにも下手なやり方じゃないかなと、僕は思います。
大人たちの言っていることって、一日でコロッと変わるんだということを、
子どもたちにいやおうなく実感させるやり方じゃないかなと、ぼくは思います。


"単純化と反復" これこそが大衆説得のコツだということを、
彼は知り抜いてしゃべっているんですね。


もしヒトラーの時代にテレビがあったら、ヒトラーなどは
どこかの小男がオーバーに騒ぎ立てているようにしか見えなかっただろう


演説では、何が言われたかよりも、それがどう言われたかのほうが、
ずっと大きな力を持っていることを、ヒトラーは知り抜いていました。


だいたいコントロールされていないマインドなんてものはない。
何かにコントロールされることで、
モワッとしたものの中からマインドというものが形成されてくる。


商品と一点でしっかりくっついてさえいれば、
広告は思いっきり自由に飛び上がったり逆立ちをしたり、
面白い芸を見せてくれたほうがいい。


歪んだ世界に馴らされて、その世界がフツーだと
思い込んでしまっている人たちに、どっちがフツーか良く考えてください
と語りかけているのです。


テレビは面的で、線的思考ができないかわりに、
活字的思考のムリや嘘をバラして、すべてのものを平熱化する性向がある


うしろに地球が見えることで、月面を歩く人間に、
ぞっとするようなリアリティが生まれた。


広告は企業にとっては販売促進の手段ですが、
消費者にとっては商品やサービスのニュースです。






engineer_takafumi at 18:38│Comments(0)TrackBack(0) ★一般書の書評 | ⇒ クリエイティブ

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