2015年05月04日

直感を裏切る数学

本日は神永 正博氏の
直感を裏切る数学
です。


本書はタイトルが面白そうだったことと、
神永さんの本であったことが気になって購入しました。


数学は時に直感を大きく裏切る結論を示すことがあります。

特に、確率・統計の分野ではそれが顕著で、
数学者でさえも、直感に支配され、間違えてしまいます。

本書はそんな風に、直感的に感じる結果と、
数学的に検証した結果が異なる話題を集めた一冊です。

1クラスの中で同じ誕生日の2人がいる確率は?
など、良く目にする話題もありますが、
本書では解説のレベルが高く、応用的な話題も
豊富に取り込まれているので、読み応えがあります。

数学の本なので、論理を追って完全に理解することは
決して易しくはないのですが、軽く読み流す程度でも
楽しむことができるように作られています。


あと、神永さんは純粋な数学者の視点で本を書かれるので、
応用系の私としては、その発想方法の違いが興味深いですね。


個人的には、後書きに書いてあった、
「専門家とはその分野で起こりうる間違いをすべて犯してしまった人のことである」
という一文が印象に残りました。


数学の先生などで、数学関係のトピックを探している人にお勧めの一冊です。
授業で使える小話のバリエーションが増えることでしょう。




天才は才能があるからひらめくのではなく、
たくさん考えているからひらめくのです。


ベンフォードの法則とは、人口のデータや、PCないのファイルサイズなどの
データの数字は、161974、14739、1980、1476820、……のように、
それぞれの数字の先頭の桁が1であるものが非常に多く、
2、3、……、9と数字が大きくなっていくにしたがって
頻度が下がっていく、というものです。


もし、だれかが不正に経理上の数字をいじったら、
ベンフォードの法則が成り立たなくなるはずですね。
それを利用して、ベンフォードの法則とのズレを調べれば
粉飾決算が分かる、とヴァリアンは指摘したのです。


確率を計算すると、他人受容の危険率がわずか100万分の1しか
なかったとしても、同一判定される確率が50%を超してしまうのは、
たった1180人のデータベースからなのです。


極端に0から外れた値が出るのが「それほど稀でもない」というのが、
コーシー分布の特徴です。
(中略)
ときどき出現する極端な値が、標本平均をドーンと
変えてしまうわけです。
「標本平均は、標本の大きさが大きくなると真の平均に近づいていく」
という大数の法則ですが、真の意味はこういうことなのです。
万能に見える「平均」も、存在していなければ使うことができません。
数学者がなぜ存在にこだわるのか、その理由の一端がここにあります。


ポワソン到着する事象は、「固まって起きやすい」という性質があります。


数学者たちは、コンピュータを用いた証明を、怒りをもって迎えました。


じつは、数学の定義とは、
最初から正しく定められているわけではありません。
「こういうふうに定義しないと、おかしなことが起きてしまうらしい」
といった事実が発見されるたび、
徐々に正しい方向へ修正されていくのです。


マリリンに反論した数学者たちは、第一印象にとらわれた結果、
事実が見えなくなってしまったのでしょう。
モンティ・ホール問題においても、
直感に頼るのは良いことではなかったようです。


宇宙の原子の数は、やや大雑把ですが無量大数
(諸説ありますが10の68乗)の1溝(10の32乗)倍よりは少ない、
と見積もられています。


実数も有理数も、どちらも「無限に多くある」ことには間違いありません。
ですが、実数は「数えきれないくらいの多さ」であり、
有理数は「数えきれる多さ」なのです。


連続体仮説は「証明できず、その否定も証明できない。


どんなに証明が難しい命題でも、それが正しいか、
さもなくば何らかの反例を挙げることができるはずだ、
という数学者たちの素朴な直感は、あえなく覆されてしまいました。


専門家とはその分野で起こりうる間違いを
すべて犯してしまった人のことである。







engineer_takafumi at 23:58│Comments(0) ★理系本の書評 |  ⇒ 数学

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