2016年08月12日

ロケットササキ

本日は大西 康之氏の
ロケットササキ
です。
ロケット・ササキ:ジョブズが憧れた伝説のエンジニア・佐々木正

本書はジョブズや孫正義が仰ぐ伝説のエンジニア、
というコピーにひかれて購入しました。

佐々木正氏は戦中をエンジニアとして過ごし、
その後、神戸工業を経て、早川電機(シャープ)に入社
シャープにて電卓戦争の中核として、シャープだけではなく
日本の電子産業全体を盛り上げた、伝説のエンジニアです。


佐々木氏はエンジニアとしての能力ももちろんですが、
その幅広い人脈がすばらしいです。
江崎玲於奈氏をはじめとする科学者、技術者はもちろん
松下幸之助や井深大などの日本企業のトップとの人脈、
ベル研究所のショックレー、ブラッテン、バーディーン、
インテルのロバート・ノイス、ゴードン・ムーア、アンドリュー・グローブ
など、歴史的な人物とも親交が厚いそうです。

シャープでこれらの人脈を生かして次々に新製品を生み出す話は
エンジニアの一人として、強い感銘を受けました。


日本は一時、半導体や電子機器で世界を席巻しましたが、
その裏には、佐々木さんのような天才エンジニアがいたことを
強く感じさせる本でした。

私もエンジニアとして、これからの世界を変える何かになりたいと
思いを新たにしました。


エンジニアであれば、是非読んでもらいたい一冊です。
佐々木さんの半生から、夢やエネルギーをもらえることでしょう。






半導体産業を育てた電卓はハイテク技術の孵化器であり、
電卓戦争は様々なデバイスを産み落とすことで、
現代のインターネットの礎を築いた。
電卓戦争でシャープの開発部門の責任者を勤めた佐々木は、
まさに時代の先頭を走っていた。


大学を出たばかりの佐々木は、いきなり真空管工場の設計を任された。
真空管の設計ならともかく、工場の設計まで新卒の技術者に
任せなければならなかったのだから、
技術者がいかに不足していたかがわかる。


総力戦を勝ち抜くためには、銃後で技術をやる人間も必要だ。
頭ではわかっているのだが、戦局が悪化するにつれ、
前線に出ず、安全な場所で研究を続けている
自分を許せない気持ちが膨らんでいった。


殺人電波も細菌兵器と同じ、狂気の兵器である。
東芝や日本電気(NEC)が最新の機材を売り込み、
東大出身の俊英たちが嬉々として発振器の大型化や
輻射の効率化に取り組んだ。
それが効率よく人を殺すための技術であることは
誰もが知っていたが、もはや気にする者はいなかった。


人体実験に手を染めた瞬間、「科学者としての自分」
が死ぬことを佐々木は予感していた。
人類を進歩させるための技術で人を殺してしまったら、
その人間は二度と科学者を名乗れない。
ギリギリのところで救われた、と佐々木は思った。


日本なら、監督者が部品を落とした女子工員を叱るだろう。
叱ることで無理やり品質を上げるのが日本のやり方だ。
アメリカは工員がおしゃべりしながらでも高品質の製品が
作れる仕組みを考える。合理性とは、こういうことか。


敵でも味方でも、使えるものはとことん使う。
アメリカを貫いていたのは徹底した合理主義である。
「使える」と判断した人材には厚遇を与える。
そうすることで敵を味方に変えるのだ。
根底にあるのはアメリカの国益を前提とする合理主義だが、
招かれた者たちはアメリカの豊かさと技術水準の高さに圧倒され、
戦争に負けたことより、戦争を仕掛けたことを悔いるようになる。
佐々木もアメリカが好きになっていった。


嵯峨根が連れてきた学生は、
江崎玲於奈という変わった名前の男だった。


トランジスタの量産にいち早く成功したのは佐々木の
川西機械製作所だった。


井深は神戸工業をライバルとして強く意識していた。
そして神戸工業でトランジスタ研究の中核を担う
江崎玲於奈を引き抜きにかかった。


考え方は違っても二人は親交を続け、その縁もあって
江崎の息子は佐々木の秘書と結婚することになった。


佐々木は生産ラインを流れるマグネトロンを
食い入るように見つめていた。
人を殺すための技術で、子供のミルクを温める。
それは平和の象徴のようにも思えた。


早川電機の開発陣は料理を皿ごと回転させる
「ターンテーブル方式」を編み出して、温めムラの問題を解決した。
コロンブスの卵である。
早川電機はもちろんこの方式の特許を取っていたが、
創業者の早川徳次は「皆さんに使ってもらったらいい」
と有償で特許を公開した。


いつしか浅田たちは、会社に近い小料理屋、
富田屋の2階に集まるようになった。
ボヤキから始まった飲み会は、やがて会社の将来を話し合う場になっていた。


全ては人脈のなせる技だった。
ベル研究所のショックレー、ブラッテン、バーディーンから始まった
アメリカの人脈は半導体、エレクトロニクス業界全体に及んでいた。
RCAの経営陣ともクリスマスカードをやり取りする仲。
のちにインテルの経営者となるロバート・ノイス、ゴードン・ムーア、
アンドリュー・グローブも友人だった。


いくら佐々木さんの頼みでも、MOSだけはダメですよ。
本家のアメリカが放り出した技術でしょ


大野は1963年、ほぼ独力でMOSトランジスタの試作品を完成させた。
周波数25KHzという、今から見れば笑ってしまうほど処理速度の
遅いトランジスタだったが、MOSには違いなかった。
だが、大野の努力は会社では全く評価されなかった。
世界の半導体大手が開発に四苦八苦している
最先端のトランジスタをたった一人の若者が作ってしまったのだから、
今思えばとんでもない快挙なのだが、
当時の日立にはその意味がわかる者が一人もいなかった。


4000個のトランジスタの一つの不良品もなかったことに吉田は感嘆した。
だが、その4000個をつなげる論理を組み立て、
ノーミスで配線したのは吉田自身の快挙だった。


吉田がアメリカに旅立ったのは1968年の2月。
当日は大阪伊丹国際空港に第六研究室の同僚が何人も駆けつけ、
万歳三唱をしてくれた。
海外出張が珍しかった当時はこれが当たり前の光景だった。


戦闘機のスピードではササキには追いつけない。
ロケット・ササキだ。


日本の電子産業の礎を作ったのは電卓である。
その電卓が最も激しく進化した13年間、
市場を牽引したのは松下電器、日立といった大企業ではなく、
シャープ、カシオという中堅企業だった。
カシオには樫尾4兄弟がおり、シャープには佐々木正がいた。


少しばかり教えたくらいで負けるなら、
シャープなどその程度の会社だということです。
そんなことで、負けるシャープじゃない。佐々木さん、構いません。
行って、存分に話しておやりなさい。


質実剛健のシャープにあって、佐々木が使う交際費は群を抜いていた。
社長の佐伯をはるかに上回る交際費を、
「使いすぎだ」と問題視する役員もいたが、
佐伯は「ドクターだけはしゃあない」と目をつぶった。
佐々木の人脈によって会社にもたらされる利益もまた桁違いだった。


彼(孫正義)のことは私が保証します。
何なら私の退職金と自宅を担保にとっていただいても構いません。
どうか融資をしてやってください。


佐々木がそう言うと、
「ひょっとしたら、不可能ではないかもしれない」と思えてくる。
佐々木にはジョブズと同じように、周りの人間に自分のビジョンを信じ込ませ、
「現実歪曲空間」を作る力がある。
その力に触れると、浅田や鷺塚や吉田がそうであったように、
人々は何かに取り憑かれたように働き始める。
出世やお金のためではない。
「自分は人類を進歩させる瞬間に立ち会っている」
という使命感が人々を夢中にさせるのである。
それを我々は「革命」と呼ぶ。


技術を抱え込んで、自分たちだけがいい思いができる期間など
高がしれている。
門戸を閉ざした国や企業は競争のダイナミズムを失い、
やがて失速していく。








engineer_takafumi at 20:56│Comments(0)TrackBack(0)★理系本の書評 | ⇒ 理系の人・理系社会

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