2016年10月06日

言ってはいけない

本日は橘玲氏の
言ってはいけない
です。
言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書)

本書はオビにある「不愉快な現実」という言葉にひかれて購入しました。


この世の中には、タブーが存在します。

例えば、政治家や芸能人など強いものをけなすのは良いが、
子ども、障害者、老人など弱者をけなしてはいけない。

一度ルールと定められたものは、理不尽でも従わなければならない。


このタブーに踏み込んでしまった時、いわゆる炎上という状態になり、
これでもか、というくらい袋叩きにあうことになります。

最近はだれでもネットを使うようになり、この傾向が顕著と思います。

だから、みんな思っていても言わない。
たとえ正しくても、言わないということになるのです。


しかし、著者はこのように言います。
憲法に表現の自由が定められているのは、ひとが嫌がる言論を
弾圧しようとした過去の反省によるものだ


確かにこれはその通りで、例えば昔、日本が戦争に突き進んでしまったのは、
「言えない」雰囲気を作ってしまったからに違いありません。

戦争はダメだ、と思っていた人はたくさんいたのです。
しかし、それをいったん口にだすと、社会から徹底的に叩かれ、
本当に殺害されてしまうことさえ、普通だったのです。

恐らく、著者は現代の雰囲気に、危うさを感じているのでしょう。
今は「平和」が暴力的に叫ばれていますが、
叫ぶものが「平和」なのか「戦争」なのかは紙一重です。
それが簡単に反転してしまうことは、歴史が示してくれます。

大事なのは、暴力的なパワーに対し、それを止められるようにすることです。
それが「表現の自由」の本質なのでしょう。


前置きが長くなりましたが、本書では、「育ち」の問題や
「男女」の問題を中心に、現代のタブーに切り込みます。
つまり、正しいのに正しいと言えないことを教えてくれる本なのです。


タテマエではなく、真実が知りたい人にお勧めの一冊です。
やや刺激が強いかもしれませんが、
強い知的興奮を得ることができるでしょう。



古代社会では、不幸な知らせを伝えた使者は斬首された。
これはいまでも同じで、集団にとって不愉快なことを言うものは
疎んじられ、排斥されていく。


逆上がりができなかったり、歌が下手だったりするのは、
私たちの社会ではどうでもいいことだから、
個性のひとつとして容認される。
だが成績(知能)は子供の将来や人格の評価に直結するから、
努力によって向上しなければならないのだ。


犯罪と遺伝の関係は、精神医学の専門書では頻繁に言及されている。


マスメディアが親の責任を問うのは、
子どもの人権に配慮しているからではない。
不吉なことが起こると、ひとびとは無意識のうちに因果関係を探し、
その原因を排除しようとする。
異常な犯罪がなんの理由もなく行なわれる、という不安に
ひとは耐えられないから、子ども(未成年者)が
免責されていれば親が生贄になるのだ。


常習的な犯罪者の息子は全サンプルの1%にすぎないが、
有罪記録の30%にかかわっていたのだ。


現代では、人種間で知能の差があることはさまざまな研究で
疑いのない事実とされている。
議論が分かれるのは、それが遺伝的なものかどうか、ということだ。


スポーツや音楽を語るときに肌の色で「黒人」という人種に
ひとまとめにすることが問題とされることはない。
それに対して知能の格差は差別に直結し、
政治的な問題となってはげしい論争を生む。


アシュケナージ系の高い知能は、ヨーロッパにおける
きびしいユダヤ人差別から生まれたのだ。


生まれた赤ん坊がその日に殺される確率は、
他の日より100倍高い。


現代文明とは隔絶した社会でも、ほぼ同じ基準で赤ん坊は殺されていく。
さらにいえば、子殺しはヒトだけでなく、
チンパンジーなど霊長類でも行われている。


一家皆殺しは男しか起こさない


暴力的に関係を迫られた証拠が身体に残っているほうが、
レイプされた女性の精神的苦痛が少ないことがわかっているが、
これは一方的なレイプだった(合意のうえでのセックスではない)
ことを夫に信じてもらいやすくなるからだろう。


生まれたばかりの赤ん坊は教育コストが投じられていない分だけ、
(無意識のうちに)利害損失を計算してあきらめやすい


心拍数が低いと容易にその覚醒度に到達できず、
誰かを殴る、万引きする、麻薬に手を染める、
などの方法で刺激を高めようとするのだ。


話しているときに相手の目を見るひとは、
知的な印象を与えるばかりか、実際に知能が高い。


わたしたちは、面長の顔と幅の広い顔を見せられたとき、
後者を攻撃的と判断する。


驚くのは容姿の劣る男性の場合で、
平均的な男性に比べてなんと13%も収入が少ないのだ。
女性の場合は4%だから、醜さへのペナルティは3倍以上にもなる。


男性の脳は機能が細分化されていて、言語を使う際に
右脳をほどんど利用しないが、女性の脳では機能が広範囲に分布しており、
言語のために脳の両方の半球を使っているのだ。


「男はモノを相手にした仕事を、女はひととかかわる仕事を好む」
というキブツの大規模な社会実験の結果は、
男女の志向のちがいが(男性中心的な)環境ではなく、
脳の遺伝的・生理的な差から生じることを示している。


男性は競争に勝つことに満足を感じるが、女性の場合、
家庭と切り離されると人生の満足度が大きく下がってしまうのだ。


女子校の女の子は、性的な意思決定に対して自律性を保てるようになる。
ボーイフレンドからのセックスの強要を断ったとしても
それが女の子同士の関係に影響を与えるわけではなく、
男の子にふられたとしても、学校での友だちづき合いは
これまでと同じようにつづいていくのだ。


男の子と女の子の性差が生得的なものであるならば、
男女平等の社会をつくるためにこそ、男の子と女の子を
別々に扱う必要があるのかもしれない。


一部の女の子がカジュアルセックスを楽しむようになると、
それにひきずられて性市場における女の子のセックスの価値も
下落してしまう。
このようにして、保守的で道徳的な社会であっても、
多くの女の子が婚前交渉に応じざるを得なくなる。


なぜゴリラが立派なペニスや大きな睾丸を持っていないかというと、
オス同士の競争はその前に終わっていて、
セックスにコストをかける必要がないからだ。


ボノボがなぜ巨大な睾丸を持つようになったかというと、
身体の大きさや力の強さではなく、
精子レベルで他のオスと競争しているからだ。


ヒトの本性は一夫一妻制や一夫多妻制ではなく、
(ボノボと同じ)乱婚である。


女性には、大きな声をあげることに、
身の危険を上回るメリットがあったはずだ。
それは、他の男たちを興奮させて呼び寄せることだ。
これによって旧石器時代の女性は、いちどに複数の男と
効率的に性交し、多数の精子を膣内で競争させることができた。
そのためには、よがり声だけでなく、連続的なオルガスムが
進化の適応になるに違いない。


乱婚の社会ではセックスはいつでも好きなときに
できるのだから、争う理由などないのだ
(競争は精子が代わりにやってくれる)。


モソ族の風習は、今では中国内で広く知られるようになった。
そのためモソ族の村には、若くてかわいい女の子とタダで
セックスしようとする観光客がぞくぞくと押し寄せているのだという。


日本だけでなく世界じゅうで、「同じ子どもは2人いらない」
という理由で、一卵性双生児のどちらか(あるいは両方)が
養子に出される習慣がある。


育った家庭にかかわらず一卵性双生児の性格は
同じくらいよく似ているのだ。


家庭が子どもの性格や社会的態度、性役割に与える影響は皆無で、
認知能力や才能ではかろうじて言語(親の母語)を
教えることができるだけ。
それ以外に親の影響が見られるのはアルコール依存症と喫煙のみだ。


移民の子どもたちはたちまち英語を習得して母語を忘れてしまうが、
宗教(や味覚)は親の影響を強く受けている。
このちがいはいったいどこにあるのだろうか。


子どもにとって死活的に重要なのは、親との会話ではなく、
(自分の面倒を見てくれるはずの)年上の子どもたちとの
コミュニケーションだ。


子ども集団のルールが家庭でのしつけと衝突した場合、
子どもが親のいうことをきくことはぜったいにない。


子どものパーソナリティ(人格)は、遺伝的な要素を土台として、
友だち関係のなかでつくられていくのだ。


子どもは、自分と似た子どもに引き寄せられる。
一卵性双生児は同一の遺伝子を持っているのだから、
別々の家庭で育ったとしても、同じような友だち関係をつくり、
同じような役割を選択する可能性が高いだろう。
遺伝と友だち関係が同じなら、その相互作用によって
瓜二つのパーソナリティができあがったとしてもなんの不思議もない。


まったく同じ遺伝子を持っていても、集団内でのキャラが異なれば
違う性格が生まれ、異なる人生を歩むことになるのだ。


この実験で興味深いのは、彼らが無意識のうちに、
自分たちを敵対する集団と正反対のキャラクターにしようとしたことだ。


ヒトのオスが遠い祖先から受け継いだ遺伝的プログラムは、
世界を内(俺たち)と外(奴ら)に分け、仲間同士の結束を高め、
奴らを殺してなわばりを奪うことなのだ。


黒人の子ども集団が禁じるのは白人の子ども集団が
高い価値を置くことすべてで、
その象徴が「勉強してよい成績をとること」だ。


親のいちばんの役割は、子どもの持っている才能の芽を
摘まないような環境を与えることだ


知的能力を伸ばすなら、よい成績を取ることが
いじめの理由にならない学校(友だち集団)を選ぶべきだ。
女性の政治家や科学者に女子校出身者が多いのは、
共学とちがって、学校内で「バカでかわいい女」を
演じる必要がないからだ。


もっとも効果的に相手をダマす方法は、自分もそのウソを信じることだ。


治安の悪化が叫ばれる先進国はどこも犯罪が大きく減っている。
ISによるテロが大問題になるのは、その残虐さももちろんだが、
それ以外の危険がなくなったからでもある。


誰も不快にしない表現の自由なら北朝鮮にだってあるだろう。
憲法に表現の自由が定められているのは、ひとが嫌がる言論を
弾圧しようとした過去の反省によるものだと思っていたのだが、
"リベラル"を自称するひとたちの考えはちがうらしい。
ちなみに私は、不愉快なものにこそ語るべき価値があると考えている。
きれいごとをいうひとは、いくらでもいるのだから。





engineer_takafumi at 21:05│Comments(0)TrackBack(0)★一般書の書評 | ⇒ ビジネスその他

トラックバックURL

コメントする

名前
URL
 
  絵文字