2017年02月12日

書く力 私たちはこうして文章を磨いた

本日は池上彰氏、竹内政明氏の
書く力 私たちはこうして文章を磨いた
です。
書く力 私たちはこうして文章を磨いた (朝日新書)

本書は池上彰さんと読売新聞「編集手帳」の竹内政明さんの
文章についての対談と聞いて、興味を持って購入しました。


竹内さんは10年以上読売新聞の「編集手帳」を
担当されてきた、文章のプロです。

しかし、私のように実用の文書を書くものにとっては、
新聞のコラムは文学的というか、
正しく、シンプルに物事を伝えるということからは、
何か方向性の違うものに思えていました。

本書からも、独創的なブリッジのかけ方など、
文学的な部分も多少はあるのですが、
池上さんとの対談との形式になっているからか、
「伝える」ことの本質を考えるような内容になっていて、
興味深く読むことができました。

例えば「手垢のついた言葉は使わない」
ということは良く言われることですが、
なぜ、それが読者に伝わらないのか、
その理由が的確に説明されています。

また、お二人とも公共の場で意見を出す方なので、
その読者への気遣いは特に参考になりました。
「炎上」や「失言」という現象は、その文章を読む読者を
十分想像できていない時に起こるものなのです。


文章を磨きたいと考える人にとっては
必読の一冊だと思います。
文章の美しさと実用性について、
深く教えてくれることでしょう。




正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい


私が文章を書くときにまず考えるのは、
言葉にしてしまえば身も蓋もないけれど、
「うまく書けそうなテーマを選んで書く」、
別の言い方をすると、
「自分がわかっていることを書く」
ということなんです。


身近な世界ほど魅力的に表現できるというのは、
中学生や高校生に限った話ではないんですね。
大人も同じだと思うんですよ。


世間には、さまざまな分野の専門家や有識者による
情報がすでに発信されています。
そうしたものに匹敵するような稀少な情報や、
みんなの目が覚めるような独創的なアイデアは、
なかなか出せるものではない。
その中で、「身の回りのこと」というのは、
「自分にしか書けないもの」であって、
それはかなりの高確率で魅力的な情報になり得る。


心がけているのは、最初に自分の書いたものを、
とにかく半分にしてみるということです。
それだけで、文章が生き生きとしてくるんです。


加害者の動機がわからない場合によく使われるのが
「心の闇」という言葉ですが、
これは私が「使ってはいけない言葉のリスト」の
一番上に置いている言葉なんです。


「保険」をかける感覚は、何かを発信したいと
考えている人にとってはとても大事ですよね。


すごく悪いことをした犯人の弁護士になったら、
自分はどうするか


「伝わらない」文章というのはだいたいにおいて、
自分でもよくわかっていないことを、
自分でもよくわかっていない言葉で書こうとするときに
できてしまうものだと思うんですよ。


文章というのは、自分が本当にわかっていることを、
自分の言葉で書くのが基本です。


「手垢のついた表現」と「ベタな表現」は違いますね。
「ベタな表現」には、少なくとも読み手と共通の土壌がある。
たぶん、こう書いてくるだろうな、という
読み手の予想が書き手の構想と合致している。


甲子園球児が宿舎で夕食のトンカツを
<ペロリのたいらげた>式の「手垢のついた表現」には、
読み手との交感がない。
そう書いておけばラクだから、という
思考停止の産物でしょう。


その切り口には、微量ながらも「笑い」の要素がつきまとう。
人の死というのは、どう書いてもユーモアにはなりませんね。


入社して長野支局に赴任した。一年目の思い出が三つある。
善光寺が焼けた。


読者がそれぞれの自分の体験と結びつけて、
勝手に想像してくれたほうが、ヘタに書き込むよりも
ずっと鮮明なイメージを読者の頭の中に残せるんですよね。


「読者」によって、あるべき姿が変わっていく。
だから、「これは誰に読んでもらうものか」を
常に意識しながら書く、というのが、
文章を書く基本になると思います。


失言の多くは、「読者」「視聴者」が見えていないときに、
口から出てしまうものなんです。


男の立場と女の立場では、入り口と出口が反対になる。
その男性アナウンサーはそれに気づかずに、
全国放送で「入り口が」と連呼してしまったわけです。


「好きな表現=便利な表現」だとすれば、
「好きな表現=使ってはいけない表現」ではないか。


何かを褒めるときも、何かを批判するときも、
書き手の感情を前面に押し出してしまうと、
読者が引いてしまうんです。


こちらからガソリンを撒いて火を大きくしようとすると、
読者は火を消しにくる。
こちらが火種をそっと差し出せば、
読者がガソリンを撒いてくれる。


「笑って欲しい原稿」というのは、
淡々と書かなければいけないんですね。


40年間、原稿を書き続けてきましたが、
「書き写す」ことこそ最高の文章鍛錬だ、
とつくづく感じています。


身体にリズムを刻み込むこと。
名文と接する意味は、ここに尽きるのかもしれません。


本当にうまい文章というのは、
「技巧が凝らされている」ということを、
読者に気づかれないんですよね。


「簡潔に書く」ということと、
「とにかく短く書こう」ということの間には、
大きな距離があるということですよね。


「実はこれまで75の国と地域に行ってきました」
と言ったあとに、
「イモトアヤコさんは80を超えているそうですが」
と付けるんです。


池上さんの書く文章は、
読む速度と理解する速度がぴったり一致している。
前に戻って読み直す必要がない。
想像するに、育った場所と関係がある。
本の活字と違ってテレビやラジオの電波は、
前に戻るどころか足踏みさえ許してくれない。







engineer_takafumi at 23:52│Comments(0)TrackBack(0)★一般書の書評 | ⇒ 書き方・話し方・言語

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