2017年06月01日

キャスターという仕事

本日は国谷 裕子氏の
キャスターという仕事
です。
キャスターという仕事 (岩波新書)

本書はクローズアップ現代で23年間キャスターを務めた
国谷さんの本として、興味を持って購入しました。


クローズアップ現代というと、週4本、
一つのテーマに切り込んで論ずる、
従来のニュース番組とは一線を画した
NHKの看板番組です。

本書はこの番組のキャスターを
立ち上げから23年続けてこられた
著者による一冊になります。

生い立ちから始まり、
言葉に対してどのような姿勢を取っていたか、
プロの仕事に身が引き締まる思いがします。


本書で感銘を受けたのは、
なんといってもインタビューの部分でした。

この本に出ている例だけでも、
アラファト議長や高倉健氏、石原慎太郎氏、
ヒューレットパッカードのCEOを務めた
フィオリーナ氏など、そうそうたる顔ぶれです。

それらのインタビューの記述は、
緊迫感が伝わってきて、臨場感がありました。

相手がどんな人であっても、
視聴者を代表して、聞きにくいことも聞く、
という姿勢には大変感銘を受けました。

さらに、クローズアップ現代のインタビューは
生放送で行われていたようで、びっくりしました。


言葉を操る職業についている人、
特にインタビューをする人にはお薦めの一冊です。
プロの心構えを学ぶことができるでしょう。



テレビが伝える内容は単純で、複雑なことは伝えません。
苦痛や飢餓を映し出して世界中に伝えることはできますが、
複雑な政治問題や思想、様々な行為の重要性について
伝えることはできないのです。


テレビ報道の持つ危うさをいうものを語る必要がある。
その「危うさ」を整理してみると、次の三つになる。
1,「事実の豊かさを、そぎ落としてしまう」という危うさ
2,「視聴者に感情の共有化、一体化を促してしまう」という危うさ
3,「視聴者の情緒や人々の風向きに、テレビの側がよりそってしまう」という危うさ


わかりやすいメッセージだけを探ろうとし、
物事を単純化する。
テレビの作業はほとんどそうです。


視聴者の求めるとおりに「わかりやすく」伝えることは、
本当に視聴者のためになるのだろうか。
難しい問題は、やはり難しい問題として
受け止めてもらうことも必要ではないだろうか。


みんなの前で何度も自分の語学力をさらけ出す訓練は、
私に度胸というものをつけさせてくれたのだ。


(帰国子女は)英語では堂々と相手に対して
対等に振舞うことができても、
日本語になると極端に丁寧になったり
自意識が過剰になったりする。
言葉に対する苦手意識が態度にまで影響を及ぼすのだ。


何も知らないで番組に臨むというのが
視聴者目線だと思う方もいたが、それはやはり違う。
視聴者目線でありながら、複雑なこともより深く、
俯瞰して見るキャスターは、素人であってはいけない。


キャスターとしてのプロフェッショナリズムと、
目線の置き方としてのアマチュアリズムをあわせ持つこと。


私の言う「自分の言葉」は、個性の発揮でもなければ、
まして主観を述べることでもない。
視聴者の一人ひとりに向き合って
自分自身が納得したことを語りかけたいと思うとき、
その言葉は「自分の言葉」にならざるをえない。


新しい事象に「言葉」が与えられることで、
それまで光が当てられずにきた課題が、
広く社会問題として認識され、
その解決策の模索が急速に進むということがある。


ニュース番組というのは、
そのときまではなかった出来事を前にして、
それをどう言い表すかという言葉を見つけないと届かない


不明瞭なものに、言葉は概念をあたえていく


利害の対立したテーマを扱うときは、視聴者に対して、
きちんと誰の目線で問題に焦点を当てているのか、
あらかじめ提示することを大切にした。


ふつうに考えれば、生放送のほうが怖くて避けたいはずだ。
しかし、視聴者がその日のその時間、
どんな状況でテレビを観ているのかが大切だと思う。
その日のテーマとは直接関係ないとしても、
その日の夜はどんな事件や事故が起きた日の夜なのか、
視聴者はどんな雰囲気の中にいるのか、
どんな気分でテレビの前にいるのか、
そういういうことはコメントの作成にも微妙に影響していた。


残り30秒は短い時間だ。
しかし30秒のなかで言えることも、じつは多い。
私はいつも、そこに賭けてしまう。


生放送の限られた時間であったせいか、
質問をたたみかけてしまうことが多い。
しかし、良い言葉を引き出すきっかけを
逃さないように真剣に話を聞く。
そのとき、細部に耳を傾けながら、
その人全体から伝わるものを聞く、
感じ取ることが大事だと次第にわかってきたのだ。


曖昧な言葉で質問すると曖昧な言葉でしか返ってこないが、
正確な質問をすると正確な答えが返ってくる。
明確な定義を持つ言葉でコミュニケーションすれば、
その人は自分の言葉に責任を持つようになる


この沈黙の17秒は、高倉さんにとって
自分の話すべき言葉を探している
大事な時間だったのではないだろうか。
このインタビューで私は「待つ」ことの
大切さを学んだ気がする。
間を恐れて、次から次へと質問を繰り出すことで、
かえって、良い話を聞くチャンスを
失ってしまうかもしれないのだ。


放送終了後、彼女は私に一言
"Too many questions on women!"
女性についての質問が多すぎる、と言った。
(中略)
フィオリーナさんには申し訳なく思った。
けれども、日本の視聴者に必要と思われる質問、
聞くべきことは聞かなくてはならない。


インタビューというものは、
時代や社会の空気に流されず、
多くの人々に広がっている感情の一体感とでもいうものに
水を差す質問であっても、
問題の本質に迫るためには、あえて問うべきだと思う。


一方的に相手の言い分を聞くのではなく、
きちんと切り返しながら、誰に対しても問うべきことにこだわる。


準備は徹底的にするが、
あらかじめ想定したシナリオは捨てること。
言葉だけでなく、その人全体から発せられている
メッセージをしっかりと受け止めること。
そして大事なことは、きちんとした答えを求めて、
しつこくこだわること。
長い間、インタビューを続けてきて、
たどり着いた結論は、このことに尽きると思っている。


日本は自身を失いかけているときに、
より一体感を欲する。それは非常に危険だ。


当時、日本では、人質を救出したフジモリ大統領に感謝したい、
日本の恩人だという空気が広がっていた。
そういう感情の一体化、高揚感のようなものがあるなか、
大統領が独裁者的になってきているのではとの質問は、
その高揚感に水を差すものだった。
しかし、大統領という人物を浮き彫りにするためには、
ペルー国民からの批判について直接本人に質すことは
必要なことだった。


この人の改革を支持したいという感情の共同体とでも
言うべきものがあるなかでインタビューをする場合、
私は、そういう一体感があるからこそ、
あえてネガティブな方向からの質問をするべきと考えている。
その質問にどう答えるのか、その答えから、
その人がやろうとしていることを浮き彫りにできると思う。


相手に対する批判的な内容を挙げてのインタビューは、
その批判的な内容そのものが聞き手自身の
意見だとみなされてしまい、
番組は公平性を欠いているとの指摘もたびたび受ける。
しかし、これまでも書いてきたが、
聞くべきことはきちんと聞く、角度を変えてでも繰り返し聞く、
とりわけ批判的な側面からインタビューをし、
そのことによって事実を浮かび上がらせる、
それがフェアなインタビューではないだろうか。






engineer_takafumi at 16:02│Comments(0)TrackBack(0)★一般書の書評 | ⇒ ビジネスその他

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