2017年07月13日

デザインってなんだろ?

本日は松田行正 氏の
デザインってなんだろ?
です。
デザインってなんだろ?

本書はブックデザイナーとして活躍する著者が、
デザインや美的感覚が歴史的にどのように
生まれてきたのかを語る一冊です。

例えば、キリスト教で黄を嫌うのはなぜなのか、
中世イスラム世界でカリグラフィーが発達
していったのはなぜなのか?
ということには、歴史的な理由があるのです。


本書を読んで、日本人がデザインに与えた影響は
思った以上に大きいと思いました。

例えば、余白の概念や文字のレイアウトなどは
日本が発祥ともいえるものです。

拒絶しないで、色々なものを取り入れてみる
という国民性が活きたと考えられます。


デザインを勉強する人にお勧めの一冊です。
構図や色の使い方など実践的な技法に
歴史的な背景が加わることにより、
知識の深みが増すことでしょう。





チャート図というものは、必ず漏れがあります。
それは、大きな流れを一望できるようにしているからで、
これも一種の抽象化と呼んでよく、ディテールは飛ばされます。


ディテールを失った抽象は、
退屈と紙一重という危険もはらんでいます。


手術中、血を見続ける医師は、視線をはずしたとき、
その補色である緑が現れます。
白い壁に緑色が現れたら眼がちらついて集中できません。
したがって、医師の眼をちらつかせないために
あらかじめ緑を配しておくのでした。


英語の白人(white man)には
そのままの「白人」という意味に加えて
「立派な人」という意味があるようで、
人種差別の根の深さを感じます。


キリストを裏切ったユダが着ていた服の色が黄だった、
ということが黄がはぶかれた公の理由でしたが、
実際にユダが黄の服を着ていたのかどうかは定かではなく、
下品ながら目立つから、
というのが本当のところかもしれません。


六色から成るレインボー・フラッグは、
LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)
の尊厳を象徴する旗として1970年代後半から使われています。


イスラム教では、生物などの具体的な形を
描くことは禁止されていました。
完全なる神(アラー)がつくりだした生物を、
完全でない人間が描くなんてもってのほか、
というわけです。でも人間はたくましい。
じゃあ、具像を持たない文字はいいのね、
とばかりに文字を表現材料とし、
カリグラフィを発展させました。
アラベスクでは、コーランの聖句まで
文様の一部にしてしまったのです。
これには神もびっくりしたことでしょう。


真空にはエネルギーが充満している、と述べましたが、
この見えない文字が持つエネルギーが、
「行間を読む」などの余白観につながっているように思えます。


聖書の写本をする写字生は、
本文中の「Iesus(イエスス)」の文字を目立たせようと
「I」の下端を延ばして「Jesus(ジーザス)」とした。
ここから15世紀に、それまで「I」と区別されていなかった
「J」がアルファベットに加わる。


わかりやすいレイアウトとは、
読者にデザインの構造がすぐ伝わり、情報が把握しやすい、
サービス精神に満ちたレイアウトだと言えます。


ぼくは読みづらい本に出会ったとき、
この本は編集者もデザイナーもつまらないと思っているから
こんなデザインになったんだ、
などとついうがった見方をしてしまいます。


「レイアウト」を「意識的に配置する」と定義した場合、
はじめてレイアウトを行ったのは日本人ではないのか、
と思わせることがかつてありました。
(中略)
書き散らしとは、文字だけの和歌を絵画のように
奥行きを感じさせようとする手法で、
改行して文頭を揃えずに並べたり、
文字と文字の間にスペースを入れたり、
ひらがな一文字に二文字分くらいの
スペースを使ったりする表現です。


この「棲み分け」、つまり、
きっちり白黒つけることに基づいた考え方は、
キリスト教に特有の性質だそうです。
その発露の例が十字軍の遠征です。
異教徒を排除し、すべてをキリスト教化しようとしました。
現在では、イスラム原理主義がこの道を辿っています。


アイソタイプがオリンピックで使われたのは、
1964年の東京オリンピックが最初でした。
それまでのオリンピックは英語・フランス語・ドイツ語圏
で行われていたため、言語による意思の疎通が可能でした。
アジア圏では東京が初で、
いかに意思疎通を図るかということが重要な課題だったのです。
このときのアイソタイプの効果は絶大で、それ以来、
国際大会などでアイソタイプは必須となりました。


横組みと言っても西洋式に左から右へと流れるのではなく、
右から左へと流れる組み方です。
これは、一見横組みですが、実は、一行一字の縦組みなのでした。
横組みを拒否することも、そのまま受容することもせず、
縦組みをアレンジして横組みもどきをつくりだしてしまったのです。


日本は中国側から見て東の太陽が昇る方角にあるため、
「日の本」と呼ばれました。


遠近法は、消失点を神でなく人間が決めるという点で画期的であり、
ルネサンス時代の画家たちの心を捉えました。


わたしたちは、単色のペン画やデッサン、
ラフなイラストなどを描くときに、斜線を入れて影を表現します。
当たり前のことのようですが、
こんなことも誰かがはじめない限り一般化しません。


当時の地図製作者は、左ページ地図を見てもわかるように
余白を埋めねばという強迫観念的傾向があったのか、
地図上の空白を放っておけず、
そこに想像でなんらかの絵を描いて埋めていました。


メルカトル図法では、経緯線が水平垂直に均等に並びます。
曲線をどう表現するか、という難題に
地図製作者たちが悩んでいたところに、
眼から鱗の、曲線を完全に無視した図法でした。


約4万人もの人が魔女と見なされて処刑されたようですが、
ちょうど印刷技術の普及と時期が重なります。


速い乗り物といったら馬か馬車くらいしかなかった時代、
汽車のスピードは驚異的だったようです。
しかも車窓というフレームを通して見る、
ということが重要です。
風景が車窓によって切り取られ、
いかにも絵画のように見えたのです。






engineer_takafumi at 12:59│Comments(0)★一般書の書評 | ⇒ クリエイティブ

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