2017年06月13日

窓ぎわのトットちゃん

本日は黒柳 徹子さんの
窓ぎわのトットちゃん
です。
窓ぎわのトットちゃん 新組版 (講談社文庫)


戦後日本の最大部数を誇る本書ですが、
恥ずかしながら読んだことが無かったので、
読んでみることにしました。


入学した学校になじめず退学になったトットちゃん、
そして、次に入学したトモエ学園での日々を
描いた一冊です。

教室は電車(使わなくなったものを運んだ)、
時間割がなく好きな順序で学べる、
席は決まっていない、プールは基本的に裸で、
と非常に自由な学校で、
これがノンフィクションであることが驚きです。

しかも、それは小林先生という素晴らしい先生が
子供のことを思って、
考えに考えた学校だったのです。

そこで、ちょっと枠から外れていた
トットちゃんは、楽しい学校生活を送ります。
戦争が本格化するまでは…。
(本は学園生活がほとんどですので戦争物が苦手
 な人でも安心して読めます)

トモエ学園がなければ、
今の黒柳徹子もなかったかもしれません。


個人的には、
トモエ学園の生徒は特に教えられなくても、
電車で騒いだり、弱いものいじめをしなかった
というところが心に残りました。


しかし、黒柳さんも、日記があるわけでもないのに、
これだけ昔の詳細な記憶があることに驚きです。

やはり、トットちゃんはスゴいのですね。


教員の方に、特にお勧めの一冊です。
理想の教育というものがどのようなものか、
インスピレーションを広げてくれるでしょう。



新しい学校の門をくぐる前に、トットちゃんのママが、
なぜ不安なのかを説明すると、それはトットちゃんが、
小学校一年生なのにかかわらず、
すでに学校を退学になったからだった。


ママは、この退学のことを、
トットちゃんに話していなかった。
話しても、なにがいけなかったのか、わからないだろうし、
また、そんなことで、トットちゃんが、
コンプレックスを持つのも、よくないと思ったから


トットちゃんの中のどこかに、なんとなく、
疎外感のような、他の子供と違って、ひとりだけ、
ちょっと、冷たい目で見られているようなものを、
おぼろげには感じていた。


みんな、海のものと、山のもの、持って来たかい?


この学校は、どこでも、その日の気分や都合で、
毎日、好きなところに座っていいのだった。


生徒は、国語であろうと、算数であろうと、
自分の好きなのから始めて、
いっこうに、かまわないのだった。


お食事は、時間をかけて、楽しく、
いろんなお話をしながら、ゆっくり食べるものだ、と、
いつも生徒に話していたから、そのことを忘れないように、
この歌を作ったのかもしれなかった。


子供たちにとって、自由で、お遊びの時間と見える、
この『散歩』が、実は、貴重な、理科や、歴史や、
生物の勉強になっているのだ、ということを、
子供たちは気がついていなかった。


トモエの生徒の中には、泰明ちゃんのように、
消費麻痺の子や、背が、とても小さい、というような、
ハンディキャップを持った子も、何人かいたから、
裸になって、一緒に遊ぶ、ということが、
そういう子供たちの羞恥心を取り除き、ひいては、
劣等意識を持たさないのに役立つのではないか、と、
校長先生は、こんなことも考えていたのだった。


たったこれだけのことが…、講堂にテントを張って、
寝ることが…子供たちにとっては、一生、
忘れることの出来ない、楽しくて、貴重な経験になった。
校長先生は、確実に、子供のよろこぶことを知っていた。


トモエの生徒は一回も、
「一列にお行儀よく並んで歩くこと!」とか、
「電車の中は静かに!」とか、
「たべものの、かすを捨ててはいけません」とか、
学校で教わったことはなかった。
ただ、自分より小さい人や弱い人を
押しのけることや、乱暴をするのは、恥ずかしいことだ、
ということや、散らかっているところを見たら、
自分で勝手に掃除をする、とか、
人の迷惑になることは、なるべくしないように、
というようなことが、毎日の生活の中で、
いつの間にか、体の中に入っていた。


たった数ヶ月前、授業中に窓からチンドン屋さんと話して、
みんなに迷惑をかけていたトットちゃんが、
トモエに来たその日から、ちゃんと、
自分の机にすわって勉強するようになったことも、
考えてみれば不思議なことだった。


トモエは、ふつうの小学校と授業方法が
変わっているほかに、音楽の時間が、とても多かった。


子供たちの、自由にとびはねるのを見ていて発見し、
創作したリズム体操、「リトミック」というものが
あることを知った。


トモエの運動会は「十一月三日」と決まっていた。
それは、校長先生が、いろんなところに
問い合わせた結果、秋で、
雨が降ることが最も少ないのが、
この十一月三日とわかったので、そう決めて以来、
毎年、この日にやることになっていた。


"人の声がうるさいと、自分の勉強が出来ない"
というようじゃ困る。
どんなに、まわりがうるさくても、
すぐ集中できるように!


トモエの生徒は、よその家の塀や、道に、
らく書きをする、という事がなかった。
というのは、そういう事は、
もう充分に学校の中でやっているからだった。


ちょっと行って、軍歌を弾いて、
おみやげをもらって帰れば、どんなに家の中が、
たのしくなるか、そして、トットちゃんにも、
たべものを、お腹いっぱい、
たべさせてやれるだろうことは、わかっていた。
でも、それより以上に、パパには、
自分の音楽が大切だった。


トモエのことを書く、というのは、長い間、
もっとも、私がしたいと思っていたことの、ひとつでした。
読んで下さって、本当に、ありがとうございました。
この中に書いたことは、どれも作りものじゃなく、
実際にあったことでした。
そして、ありがたいことに、私は、いろんなことを、
忘れていませんでした。


私は、私の母に、心からの感謝を伝えたいと思います。
それは、「退学になった」、という事実を、
私が二十歳すぎまで話さないでいてくれた、という事です。


とにかく、こういう、トットちゃんみたいな女の子でも、
まわりの大人たちのやりかたによって、なんとか、
みんなとやっていける人間になれる、
という事を知って頂けたら、と思っているのです。


わざと毎月、〆切が来るように、ということで、
講談社の「若い女性」に、一九七九年の二月から
一九八〇年十二月まで二年間、連載したものを、
まとめて頂いたものです。


日本の教育問題が、大変なところに来てしまって、
みんなが(なんとなしなくちゃ)、と考えているときに、
この本が出たので、私は、
そのつもりじゃなくて書いたんですけど、
「教育書」という風に読まれ、それで、
ベストセラーになったのは、間違いないようです。


これは、女性が作った、
初めてのベストセラーとも、いわれました。
ふつう、ベストセラーというのは、
男の人から始まるそうですね。
この本に対して、男の方は、
かなり拒否反応が、あったようです。


"表紙が女っぽい" "タレントが書いた" "ベストセラーになった"。
これだけで、もう、手をつけない男性が多かったことは、
(中略)
わかったんです。





engineer_takafumi at 23:01│Comments(0) ★一般書の書評 | ⇒ その他の本

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