2017年11月26日

科学技術のフロントランナーがいま挑戦していること

本日は川口淳一郎 氏の
科学技術のフロントランナーがいま挑戦していること
です。
AI・ロボット・生命・宇宙… 科学技術のフロントランナーがいま挑戦していること

本書は「フロンティアを目指す、サイエンスとアート」
というシンポジウムの内容を元に作られたものです。

シンポジウムでは12のセッションが開かれ、
日本を代表する研究者やジャーナリストなどが
活発に意見を交換しました。

内容はロボットやAI、宇宙、生命などの分野から
理系文系問題、政治行政などの話まで及んでいます。

専門家だけのシンポジウムでないため、
研究者たちが専門用語を使わず
わかりやすく説明してくれます。

一冊で様々な分野に触れられるので、
科学分野間の類似点、相違点などが際立ち、
大局的な視点が見に付く一冊でした。


個人的には、
サイエンスとは、知らないことを知ること、
アートとは、無いものを創ること、
という部分が印象的でした。


普段あまり科学技術に接点のない方が、
科学技術をざっと眺めたい時にお勧めの一冊です。
分かりやすい言葉で先端科学技術を俯瞰できるでしょう。





本書でも度々言及されていますが、
現在、日本の科学技術が抱えている問題の一つに、
若手研究者を育成するシステムが脆弱であることがあります。


しかし、それを書いたのがAIだったら、
どれだけ「らしく」書いてあっても、
AIとわかった途端に興ざめしてしまうというような
ことはないでしょうか。


2006年に「ポナンザ」という将棋ソフトが日本で開発されました。
これはディープラーニングではないのですが、
プロ棋士の棋譜を使って「強化学習」をするという方法で、
圧倒的に強くなりました。
強化学習というのは、コンピューター同士で対局させて
強くするという従来からの機械学習です。


人間でも同じはずですが、それこそ
「ヒューマンエラーだから仕方がない」
といって収まるでしょう。
けれど、AIの場合は、最後の最後、
作為的にそこを選んだということになります。
それを我々がどう受け入れるか。
これは、議論しても答えを出すのは難しいと思います。
受容にネックがあるとすれば、技術よりも、
そうしたことが問題になると思います。


現場が介護ロボットを認めてしまうと、
自分たちの存在意義を否定することになってしまう、
というふうに思っているからだと思います。
「ロボットなんかに、自分の仕事ができるものか」
という思いが、根底にあるのです。


仕事の中で、あなたでなくてもいい、
たとえば機械やロボットにさせておいてもいいと
思うことはなんですか


放送ではASIMOがずっと動いているように見えるのですが、
実は必ずと言っていいほど止まるんです。
「生放送なので、スタジオに来てもらえませんか」
と言うと、必ず断られます。


ビジネスとして成り立たないと、
ロボット技術は継続できないのです。
実は福島原子力発電所の事故以前にも、
いろいろな原子力事故対応のロボットが開発された経緯はあります。
しかし、それらはビジネスとして回っていなかったので、
維持されませんでした。


認知科学によると、我々の頭の中には、
論理的な思考によりうまく処理できるプロセスと、
直観のようなものを使わないと
うまく処理できないプロセスの二つがあるそうです。


すでに自動車の世の中に生きている我々は、
自動車に関するしっかりした感覚を持っています。
自動車に対して、何をしてよいか、
何をして悪いか、直感的にわかります。
自動車社会に住んで50〜60年ぐらいですが、
これぐらいの間には、かなりの感覚ができあがると思います。


少しずつものごとが変化していくというのは、
実は非常に危険です。
(中略)
最初はそんなつもりではなく、
筋肉を少し強くするような遺伝子操作だったものが、
いつの間にか私たちの社会の許容限度を
超えてしまうかもしれません。


あるバードウォッチャーが研究部隊のところに行って、
「鳥の声を聞けるようにしたいのだけど、自動化できるだろうか?」
と相談をしました。研究員が、
「できると思う。とりあえず各鳥について5万回ずつ声をレコーディングしてきてくれ」
と言いますと、
「えっ、データがいるんですか?」と。


AIが人格を持っているかのような議論がありますが、
とんでもありません。
なんらかの情報処理を自動化しただけであり、
基本的には、人間をアシストするマシンにすぎません。


なぜ日本には給付型奨学金がないのかというと、
政治の問題だけではなく、国民感情として、学費は親、
家の問題ではないのかという意識があったからです。


はやぶさのおかげで、
隕石は小惑星の破片であることが証明されました。


宇宙条約は、宇宙を領有することを、
国に対して禁止しています。


国際法では、長い間、
「禁止されていないことは、行動する主権国家に有利に解釈してよい」
という原則が非常に大事なものとして考えられてきました。


サイエンスとは、知らないことを知ることです。


アートとは、無いものを創ることです。
無い制度を創ったり、無い権利を設けることもそこに含みます。
サイエンスは無いものを創れません。
サイエンスが無いものを創ろうとすると、
それは捏造だと言われます。
何かを創るにはアートでなくてはいけない。
これはとても重要な根源です。


30mクラスの大きな望遠鏡で
どのような観測ができるかというと、
残念ながら宇宙人が手を振っているのが
見えるわけではありません。
観測できるのは、惑星の大気の情報です。


多くの人は、人間がこうして繁栄しているのは
生存に有利だからであり、
よって知性も当然生存に有利だと考えるのかもしれませんが、
私はそうは思いません。


私は基本的に、知性を持った存在というのは
「悪」だと思っています。性悪説です。
私は十分悪人ですので、皆も悪人だと思っています。


単純な構造の有機物からアミノ酸やヌクレオチド、
糖といった素材はできるかもしれませんが、
では、それらがどうやってDNAやRNAとなったのか。
これは、まったくわかりません。


美しい形をつくるとそこに数列があり、
数列でつくると美しい形がそこにある。
いわば創造することと解明することが
行って返ってくるような感じでした。


100年、200年、あるいは1000年、5000年前の
美術が残っていて、わざわざそれを見に行くわけです。
当然、その時代の価値観はわかりません。
それでも美術展を見に行くのはなぜかと言えば、
結局、「美」としか言いようがない。


私は「美」というのは、
自然の真っ当さを認識させてくれるパワーだと思います。
科学技術でどう変わったかというと、
科学技術でそれを露わに見せていただいたり、
あるいは、すばらしい方程式で示してもらえる
ということでしょうか。


狂気も自然です。
「美」というのは決してやさしかったり、
きれいだったりするものではありません。
醜い面もあります。恐ろしい面もあります。


日本の若い女の子たちは、生まれ持った顔ではなく、
努力を評価し合っています。
今のトレンドは何かという情報を突き止めて、
それに合わせてお化粧や画像処理などの技術を
使いこなせる人が評価されています。


発病前に病気を見つけられれば健康状態へと容易に戻せますが、
これが病気状態へと移行してしまったあとでは、
健康状態に戻すのは難しいのです。


紀元前6〜5世紀頃に活躍したピタゴラス学派は、
醜い無理数を封印しました。
(中略)
ヒッパソスは分数では表せない数があることを
証明した途端、暗殺されたと言われるほど、
美しい数字でなければ許されなかったのです。


フィールズ賞を受賞された
京都大学の森重文先生がおっしゃるには、
代数幾何は印象派の絵画のようなもので、
微分幾何は具象画のようなものであると。







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