2017年11月27日

2050年の技術

本日は英『エコノミスト』編集部の
2050年の技術
です。
2050年の技術 英『エコノミスト』誌は予測する

本書は英国の有名経済誌『エコノミスト』が
2050年にテクノロジーの進歩により
世の中はどう変わっているかを議論したものです。

例えばAIが生活の隅々にまで入り込み、
各人に最適なサービスを提供するだろうであるとか、
エネルギー源は再生可能エネルギーに移るであろうとか、
なんとなく予測可能なこともありますが、
それより大事なのは受け手の人間です。

こんなことが可能になったとして、
人間がどのように感じるか、ということまで含めないと、
正確な予測はできません。

例えば、AIが小説を書けるようになったとして、
「AIが書いたとわかった文章に」人間は感動するでしょうか。

本書では、単に技術の進歩を予測するだけでなく、
その時人間がどうなるか、ということまで考察されています。

AIが意思をもって、人間を攻撃してくるように
なったらどうしよう、という心配をする人がいますが、
実際のところ、悪意のある人間がコンピュータを操作して
他人を攻撃してくる確率の方がはるかに高いでしょう。

技術の進歩に目が行きがちですが、
あくまでも中心にいるのは人間なのです。


個人的には
テクノロジーには意思があるように見える
という部分が印象に残りました。


技術開発に携わる方にはお勧めの一冊です。
テクノロジーがどんどん発展していく中で
人間がどう変化するか、考えるヒントを得られるでしょう。



「犯罪者ほど科学の最新の成果を積極的かつ迅速に取り入れる集団はない、というのは周知の事実である」
という言葉は、今日耳にしてもまるで違和感はないが、
実際には1888年にシカゴの警察官の発言である。


コダックのカメラは
若者のモラル低下を招くと批判されたが、
それは1790年代の小説、1910年代の映画、1950年代のマンガ、
1990年代のビデオゲームに向けられた批判と同じだった。


消費者が操作するプラスチックの箱から、
計算という負担の大きい作業を担うハードウェアを
取り除くのが「クラウドコンピューティング」だ。


十分に進歩した技術は魔術と見分けがつかない


低賃金で働く労働者が効率的に仕事をこなせるなら、
新たな自動化システムや機械学習プログラムに
投資する必要はない。


DNAは人類が知りえた最も高度かつ
高密度な情報記録媒体である。
その容量は、磁気テープや半導体素子を用いた媒体における
理論的容量の何倍にも達する。


未来に待ち受けるのはエネルギー不足ではなく、
エネルギーが潤沢にあり、効率的に使われる世界だ。


今日の発明家はLEDに最適な半導体材料を探そうと思えば、
クラウドのスーパーコンピュータにアクセスすればいい。


西欧諸国が高度な軍事テクノロジーの研究開発にいそしむのは、
戦闘意欲の低下をごまかすための危険な
目くらましにすぎないというのだ。
(中略)
衰退期のローマ帝国は蛮族との戦いより、
戦闘に使う石弓の改良に熱心だったという。


テクノロジーが変わっても人間の本質は変わらない。
つまりわれわれはこれからも、
血の通った世界とのかかわりをもちつづけたいと思うはずだ。


AIが人間の知性を追い抜くことはない


チューリング・マシンから魔法のように
意識や知性や意図を持った存在が生まれてくることは
今後もありえない。


人間がスマート・テクノロジーの使い方を誤ることこそが
重大なリスクである。


AIの成功は、私たちがAIに親和性の高い環境を
創っていけるかにかかっている。
世界がAIに合わせるのであり、その逆ではない。


最終的な判断を下すのは依然として人間の医師かもしれない。
しかし自らの判断を確認するために
ビッグデータ・システムを利用せずに診断を下そうとすれば、
医療過誤訴訟のリスクを背負いこむ可能性がある。


教科書に電子書籍が使われるようになれば、
学生が学んでいるあいだにデバイスも同じくらい
学ぶことができる。


2050年には、データによって教育は原点に
立ち返ることができる。
個人に合わせて教授方法を変えるのであり、
今日のようにその逆ではない。
教育は容易になり、安価になり、
またより多くの学生の役に立てるという意味で潤沢になる。


今日紛争の解決手段として司法制度に頼るのは、
当然の権利ではなく贅沢である。
多くの人が司法から締め出されている。
不当な扱いを受けても、判決に至るまでの
長々とした形式的手続きが割に合わないために、
法の救済を受けられない人が大勢いる。


病理学者は患者と接する技術を向上させなければならないだろう。
医療大学院は生物学に加えてコミュニケーション能力や
心理学も教えることが必要になる。


データの増大は一つ厄介な歪みを引き起こす。
われわれは世界で「何が」起きているかを
これまで以上に理解できるようになるが、
「なぜか」はこれまでほどわからなくなる。


これまで読んだなかで最も衝撃的な研究では、
女性が家計を握ると、
子供の生存率が20%向上することが示されていた。


中産階級の子供が最初の二年で
親から語りかけられる言葉の数は、
労働階級の子供と比べて数百万語多い。


現代のテクノロジーの最大の利点の一つは、
いくつもの解決策を試してみて、
成功したものを猛烈なスピードで広めていけることだ


従業員の離職率や将来の業務成績などは、
すでにアルゴリズムのほうが管理職より正確に予測できる


経済成長の数値を見ると、
必ずしも技術が日進月歩で進化しているわけではないとわかる。
それでもわれわれがテクノロジーに対して
なす術もないような感覚を抱くのは、
そこになんらかの自律性、
すなわち「テクノロジーの意思」を感じるからだ。


ディーゼル・エンジン、電話、電球など
数多くの革新的アイデアを調べてみると、
同じ時期に大勢の人がそれらを思いついていたことがわかる。
(中略)
それはケビン・ケリーらが、
テクノロジーには次に「何をしたいのか」という
意思があると主張する根拠となっている。


自分が望まない物理的発見を一つだけ挙げるとすれば、
核分裂兵器(原子爆弾)を起爆装置として使わずに、
核融合兵器(水素爆弾)を爆発させられる方法である


化学者が新たな分子を設計できるようになったように、
物理学者がコンピュータの力を借りて
原子核から簡単にエネルギーを抽出する方法を見出したらどうか。
(中略)
このような世界では、今日と比べてはるかに目立たない施設で、
はるかに容易かつ大量に調達された材料を用いて
核兵器が作られるようになるのは想像に難くない。


本当に起こりうる問題は、テクノロジーの暴走ではなく、
それを扱う人間の暴走である。







engineer_takafumi at 00:30│Comments(0) ★理系本の書評 | ⇒ その他の工学

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