2017年12月02日

日本の歴史的広告クリエイティブ100選

本日は岡田芳郎氏の
日本の歴史的広告クリエイティブ100選
です。
日本の歴史的広告クリエイティブ100選

本書は日本の歴史的なクリエイティブ広告を
テーマに沿ってまとめたものです。

メインは戦前から戦後にかけての広告ですが、
紹介されている中で一番古い広告は
なんと1795年(寛政7)年までさかのぼります。

それにしても驚くのがその面白さ。
モノによっては100年以上前の広告にも関わらず
この時代に読んでも意外性や面白さを感じます。

情報が限られた時代に、
これらの広告がどれほど人の気を引いたか
想像できないほどです。

いつの時代も広告というものは、
当時の最高の人材が大衆の興味をひこうと
頭をひねって作り出したものです。
その時代の文化の結晶とも
考えられるのかもしれません。

当時の文化が現れているのが
大変興味深かったです。


昔の広告が見てみたい方はもちろん
大正から昭和初期の文化に興味がある方にお勧めです。
広告というのは当時の大衆文化を
雄弁に語ってくれると思います。



1929(昭和4)年1月18日、平凡社の新聞突出しに掲載された
「説教強盗に告ぐ!」は、特定の個人に宛てた珍しい広告だ。
この広告は、当時世の中を騒がせていた事件をテーマに、
一出版社が行った呼びかけである。
(中略)
そして末尾に
「この企ての成り行きは「平凡」誌上にて発表す」と書かれ、
雑誌販促にもぬかりはない。


1928(昭和3)年9月25日の「懸賞模擬総選挙」は、
雑誌「平凡」創刊を強烈にアピールする大胆な広告だ。
(中略)
コピーは実施された普通選挙を厳しく批判し、
平凡社自ら模擬総選挙を行い、
全国各地の理想的人物を選ぶことを呼び掛けている。


応募ハガキの宛名は、
「必ず次の通り一字も落とさずご記入の事」とあり、
「東京市外下渋谷 滋強飲料カルピス製造元 ラクトー株式会社」
と書かれている。
広告の狙いがこの文字を読者に書かせることにあるのだろう。


1914(大正3)年3月30日の広告は、
今日の都市に不可欠の装置になった
「エスカレーター」の日本初登場を知らせる。
(中略)
エスカレーターは単なる実用ではなく、
乗ることが娯楽でもあった。
自然にうごく階段は、
それ自体がはじめての体験であり、驚異だった。
(中略)
「自働速度は一分間六十尺、普通の歩行より寛なり」と記されている。
だが、乗ってみてその怖ろしさのあまり
二度とエスカレーターに乗らなくなった女性もいたという。


不景気か?不景気だ!
赤玉ポートワインを飲んでるかネ?飲んでない!そうだろう!


1961(昭和36)年10月26日のアンネの広告は、
女性の行動と意識を大きく変える画期的な製品を掲げる。
「40年間お待たせしました」というキャッチフレーズは
決してオーバーな惹句ではない。
(中略)
女性にとって恥ずかしい、隠すべき事柄だった
「生理日」は「アンネの日」となり、イメージを転換させた。


1922(大正11)年8月3日の味の素の広告は、
企業の危機に立ち向かう防御広告だ。
「誓って天下に声明す 味の素は断じて蛇を原料とせず」と、
世間の一部で囁かれている邪説を真正面から否定している。
デマをひそかにもみ消すのではなく、
覚悟して白日のもとに問題を曝し事実を伝える勇気ある方法だ。


甘いばかりじゃ、退屈です。
辛い、苦い、酸っぱい、渋い、と、
いろいろあるのがオトナの生活。
問いたいのは味であります


1941(昭和16)年5月20日、
名コピーライター片岡敏郎は引退広告を出した。
「感ずるところあり 昨年十一月かぎり 
 寿毛加社の役員も仕事の方も辞しました で 
 スモカの広告と販売には今は全く無関係でございますので
 この儀お含みのほどを どうぞ」


ヒトは月へ行って帰ってこられるようになったものの、
オタマジャクシ一匹、実験室で作り出せないじゃないか


距離に負けるな、好奇心。


従業員が集まって、会社に飛行機をプレゼントするなんて、
デルタのほかにあるでしょうか


昭和51年1月20根に 私たちがおあずかりした荷物は
たったの2個でした。




engineer_takafumi at 23:34│Comments(0) ★一般書の書評 | ⇒ クリエイティブ

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