2017年12月01日

フェルマーの最終定理

本日はサイモン シン氏の
フェルマーの最終定理
です。
フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

数学に感動するというと、
限られた能力をもつ人間だけのように感じます。

しかし、17世紀にフェルマーによって予想され、
300年ものあいだ未証明であった定理が、
ある数学者によって証明される、
そのドラマには本当に感動させられました。

本書はフェルマーの最終定理が何であるか?
そして、アンドリュー・ワイルズによって、
それが証明されるまでのドラマを描いています。

ワイルズは一旦証明に成功したように見えましたが、
後に大きな問題が残されていることに気づきます。

栄光から、どん底に突き落とされ、
そこからまた這い上がるストーリーには
数学がわからなくても感動させられると思います。

ノンフィクションでありながら、
小説のように楽しめる一冊でした。

登場人物が数学者なので、
一般とはかなり変わっている人たちであることが、
話を面白くしているのでは、と感じました。


個人的には、証明の障害を回避したときの
ワイルズの言葉が印象に残りました。


数学好きな人はもちろんですが、
普通の小説が好きな人にも試してもらいたい一冊です。
数学の話にも感動させられることに気づくでしょう。





ワイルズの証明には非常に高度な数学が使われているけれども、
フェルマーの最終定理の美しさは、
問題そのものを理解するのは簡単だという点にある。


数学者と話をしていて驚かされたのは、
彼らの話す内容の恐ろしく正確なことだった。
質問をしても即座に答えが返ってくることはなく、
彼らの頭の中で答えの構造が完全にできあがるまで
待たされることもしばしばだった。
だが、彼らがいったん口を開けば、明晰で考え抜かれた、
これ以上望めないほどの答えをくれるのだ。


数学においては完全な証明こそがゴールである。
一度証明されるということは、永久に証明されることなのだ。


アンドリューの証明の核心は、
谷山=志村予想の名で呼ばれるアイデアを証明することにあった。


数学者が仲間からの支えを必要とするのは、
自分のやっていることに自信がないからだそうである。
しかしワイルズは、仲間とのそうした交流を断ち、
最終段階になるまで自分一人のなかにすべてをしまい込んだ。


数学者の数学的寿命は短い。
25歳、30歳を過ぎてからの仕事が
前よりよくなることはめったにない。
それぐらいの年齢までに大した成果を挙げられなければ、
その後もまず見込みはない。


数学者は決して忘れてはならない。
他のいかなる芸術や科学の分野にもまして、
数学が若い人のものであることを。
卑近な例を挙げるなら、王立協会の会員に選ばれる
平均年齢は数学者がいちばん低いのである。


幾何学(ジオメトリー)という言葉は、
「土地(ジオ)を計る(メトリー)」という意味なのである。


ピタゴラスは、音楽の和音から惑星の軌道にいたるまで、
あらゆることがらの背後に数が潜んでいることに気づき、
「万物は数なり」と言い切るまでになった。


有理数だけによってこの宇宙を捉えていたピタゴラスにとって、
無理数の存在は彼の思想ををゆるがすものだったのである。
(中略)
結局、ピタゴラスはヒッパソスに溺死による死刑を言い渡し、
後世に汚名を残すことになったのである。


アリストテレスなどは、ゼロを数に含めればおかしなことが起こるから、
使用禁止にすべきだとまで言ったほどである。


偶数は、自然数と一対一対応させられるから、やはり無限である。
しかし、あらかじめ言ってしまうと、無限のなかには
他より大きいものが確かに存在するのである。
たとえば、有理数と無理数は一対一に対応させることができず、
無理数の無限集合は有理数の無限集合よりも
大きいことが示せる。


ピタゴラスは女性の学徒を積極的に力づけたため、
"フェミニストの哲学者"として知られている。


虚数が存在することによって、
12はさまざまに因数分解できるようになるのである。


社会的なことをいえば、応募者の多くは
専門教育を受けながらもしかるべき職業につけなかった人たちで、
フェルマー問題を証明することで一発逆転を狙っているようです。
応募論文のいくつかを医師に見せたところ、
重い統合失調症との診断でした。


フェルマーの最終定理が真だったとしても、
それを証明する方法が存在するとはかぎらないのである。


純粋数学者といのは、手強い問題が、
そう、未解決の問題が大好きなのです。


谷山=志村予想が成り立つことが証明できれば、
フェルマーの最終定理が成り立たないという仮定に矛盾する。
したがってその場合には、
フェルマーの最終定理も成り立たなければならない


私はときどきでたらめに鉛筆を走らせてみます。
とくに意味もなく、ぼんやりといたずら書きをするのです。
コンピュータは決して使いません。


フェルマーの最終定理を証明したと言える人間は、
誰よりも長い時間を研究に費やした人間ではなく、
最終的に完全な証明を提示した人間なのだ。
もしも欠陥のある状態で論文を公表したりすれば、
欠陥を修正して証明を横取りしようとする人たちから
質問や説明が殺到し、
ワイルズ自身が証明を修正する妨げになるばかりか、
解決の糸口を他人に与えてしまうことになるだろう。


言葉にしようのない、美しい瞬間でした。
とてもシンプルで、とてもエレガントで……。
どうして見落としていたのか自分でもわからなくて、
信じられない思いで20分間もじっと見つめていました。
それから、日中は数学科のなかを歩き回り、
何度も机に戻っては、それがまだそこにあることを確かめました。
ええ、ちゃんとありましたよ。
私は自分の気持ちを抑えられなくて、とても興奮していました。
あれは私の研究人生で最も重要な瞬間です。
あれほどのことはもう二度となしえないでしょう。


みんなは私にこう言うのです。
きみは問題を奪ったのだから、その代わりになるものをくれ。


スタンフォード大学のジョセフ・ケラーが
かつて語ったところでは、彼の大学の数学科は、
ほかのどの学科よりも ―仏文学科よりも―
コンピューターの台数が少ないそうである。






engineer_takafumi at 23:32│Comments(0) ★理系本の書評 |  ⇒ 数学

コメントする

名前
URL
 
  絵文字