2018年01月18日

大量生産品のデザイン論

本日は
大量生産品のデザイン論
です。
大量生産品のデザイン論 経済と文化を分けない思考 (PHP新書)

本書は「明治おいしい牛乳」や
「ロッテ キシリトールガム」など
ロングセラーとなった商品のデザインを多数手がけた
グラフィックデザイナーによる一冊です。


デザイナーの世界では、日用品のような大量生産品の
「デザイン」をタブー視する傾向があるそうです。

つまり、特別なもののデザインが本当のデザインで、
日用品のようなデザインは格の低い仕事と見られるわけです。

しかし、大量生産品のデザインを多数手がけてきた著者は、
決してそんなことはない、と言います。

日用品には、日用品のデザインがあるのです。
本書にはその意図が説明されています。
陳列の方法なども考慮されたデザインの意図を知ると、
本当にこれだけのものに命が吹き込まれているのだ、と感じます。

さらに、デザインを特別なものと見ることは危険とも言います。
というのも、デザインが特別なものであれば、
逆に「デザインは無くても大丈夫」ということになるからです。

デザインは目的ではなく、目的を果たすためのプロセスです。
世界のあらゆるところに存在し、必要とされているのです。


個人的にには、
著者が「おいしい牛乳」のデザインを手がけたというと、
「えっ? あの牛乳の? あれのどこがデザインなんですか?」、
と返され、それがとても嬉しかった、
という話が印象に残りました。

本当に自然なデザインというものは、
それを意識させないものなのかもしれません。


食品など、日用品のメーカーに勤める方にお勧めの一冊です。
製品と社会のコミュニケーションを考え直す、
きっかけになってくれることでしょう。






歴史を振り返ってみても、グラフィックデザイナーとして
多彩な仕事をしてきた者の多くはこれまで、
大量生産品の「デザイン」を、
むしろタブー視してきたのではなかったか。


・「価値」(バリュー)を伝える
・「印象」(インプレッション)を現す
・「知覚」(シズル感)を誘う
この三点がデザインの最適化を生む
判断指標となるものになっている。


これでは、一つの面にたくさんの情報が入り過ぎていて、
店頭という、とにかく情報量の多い場所に投入されると
迷彩のようになり、見えづらくなってしまいます。
パッケージからできるだけ情報を減らすことも必要でした。


そのシンボルマークは、
コンビニの陳列棚のように横に置かれても、
駅のキオスクで縦に差し込まれるように置かれても
同じマークだとわかるように設計しました。


「デザイン」に向かうための
共有できる言語化がポイントとなる。
それは無味乾燥なコンセプトではなく、
かかわる多くの人のイメージを触発する
クリエイティブなコアになるものでなければならない。


白い地色と青い色を敷いたその境界に
細い線を入れました。
この線を入れることで、丁寧につくられているという
印象がグッと高まるのです。


パッケージデザインをする時には
この三段階くらいの距離感を考えています。


「価値はすでにそこにある」のですから、
その価値をピックアップして生かすのがデザインであって、
デザインによってそのものの価値を上げようなどとは
思ってもいません。


「えっ? あの牛乳の? あれのどこがデザインなんですか?」
と言われました。
私はその時「やった!」と思いました。


デザイン提案の中にはマーケティングデータを
読み解いて表現した咀嚼型デザイン案も複数入れ込んでおく。
これはある意味で、先方にとっても
わかりやすい合理的なデザインにはなるが、
しかし、新たな発見は少ない。
ここからが本当のデザインを巡る議論になるのである。


VIに「音」を発する要素が加わると親しみが増し、
より愛されるものになり得る。


シンボルマークには社内外での
コミュニケーション・ツールとしての
機能も込められている。
これも営業支援の一つの方策となるものだ。


デザインの世代論は時代・社会に対する問題意識を
歴史的に俯瞰するうえでも必要なものだ。
デザイン表現を過去の系譜と参照するためにも
世代論を歴史として把握することが必要となり、
デザイナーは絶えず表現が歴史に立脚していることに
無自覚であってはならない。


私はこの「わからない」という雰囲気に気づいた時に、
「これは可能性があるぞ」と、手応えを感じたのです。
なぜなら、その場にいた方々に、
若手向けの商品開発はわからない、
自分たちには判断できないと思ってもらうことも、
このプレゼンテーションの一つの戦略だったからです。


デザインが「特別なもの」という認識は、
逆に「デザインは必要ない」という
誤解を生むことにもつながってしまうからです。


デザインは「目的」ではなく、目的を果たすためのプロセス、
間を「つなぐもの」なのです。


「デザイン」を科学としてのアプローチから解剖するためには
「トーン&マナー」はその根拠となるもので、
不可欠なものになる。


まず想像する、そうして仮説を立ててみることは大切です。
そのうえで成り立つコミュニケーションがあり、
だからこそ、お互いにより深く理解し合うことが
できるからです。


わからないけれど、子どもの時から触れておく。
つまり、刷り込んでおく。
するといつか、理解できる時がやってくる。
教育にはそういう側面もあるはずです。


プロフェッショナルであれば、
つくったデザインをどのように展開させ、
さらに五年後、一〇年後、どのように使われていくのかという
包括的な視点をもってその仕事に取り組みます。
しかし、一般公募に応募してくる人々に
そこまで期待することはできません。
すると「つくること」と「育てること」が
別建てになってしまいます。
(中略)
その結果どうなるかといえば、何か問題が生じたときに、
誰が責任をとるのかわからない、責任者の顔が見えない、
誰も責任をとらなくてもよいという
無責任主義にしかならないのです。







engineer_takafumi at 21:37│Comments(0)★一般書の書評 | ⇒ クリエイティブ

コメントする

名前
URL
 
  絵文字