2018年03月03日

日本人として知っておきたい皇室の祈り

本日は
日本人として知っておきたい皇室の祈り
です。
日本人として知っておきたい皇室の祈り


今上陛下から皇太子殿下へのご譲位が
平成31年4月30日と決まりました。

殿下は初代神武天皇から数えて、
126代目の天皇となられます。

世界にはこれほど長く続いた皇室はありません。

なぜ、日本の皇室がこれほど長く続いたのか?
著者は、日本人が皇室を「お守りして」きたから、
と言います。

そして、お守りしてきた理由は、
皇室の祈りを尊いものと感ずる人々の力なのです。

日本の皇室は「利他」の精神を貫き、
毎日、日本国民や世界の人類の幸福を
ひたすら祈っています。
その尊さが、皇室を存続させてきました。

本書では今上陛下、皇后陛下の活動から、
光格天皇、考明天皇、明治天皇、大正天皇、
昭和天皇のご生涯について、
そして陛下が毎日行っている祈りの中身について
解説してくれます。

私は今まで皇室について改めて勉強したことは
ありませんでしたので、
本書は皇室の素晴らしさを知るための
良い材料となりました。

皇室についての意見は別れるかもしれませんが、
まずは日本人として、皇室を尊ぶスタンスは
触れておいたほうが良いと思います。


個人的には、
清子内親王殿下が語る両陛下のお姿が
特に印象的でした。


これから海外に行く人にお勧めの一冊です。
日本人のよりどころとして、
皇室を語るための知識が身につくでしょう。





両陛下がきれいな村だと言ってくださっている村を
取り戻さないわけにはいかないと思って、
私の勇気を奮い起こしてくれました。


時代の流れにそって、子どもたちは皆お手元で育てていただき、
一つの家族として過ごせたことは本当に有り難いことでしたが、
その一方で公務は常に私事に先んじるという陛下のご姿勢は、
私が幼いころから決して崩れることのないものでした。
国際、国内情勢、災害や大きな事故などに加え、
宮中祭祀にかかわる全てが日常に反映されるため、
家族での楽しみや予定が消えることもしばしばで
残念に思うことも多々ありましたが、そのようなことから、
人々の苦しみ悲しみに心を添わせる日常というものを知り、
無言の内に両陛下のお仕事の重さを実感するようになりましたし、
そうした一種の潔さが何となく素敵だとも感じていました。
(清子内親王殿下)


私の目から見て、両陛下がなさってきた事の多くは、
その場では形にならない目立たぬ地味なものの
積み重ねであったと思います。
時代の要請に応え、新たに始められたお仕事も
多くありましたが、他方、宮中での諸行事や
一年の内に最小でも15、陛下はそれに旬祭が加わるため
30を超える古式装束をつけた宮中三殿へのお参りなど、
皇室の中に受け継がれてきた伝統は、
全てそのままに受け継いでこられました。
(清子内親王殿下)


人は一人一人自分の人生を生きているので、
他人がそれを充分に理解したり、
手助けしたりできない部分を芯にもって
生活していると思う。
……そうした部分に立ち入るというのではなくて、
そうやって皆が生きているのだという、
そういう事実をいつも心にとめて
人にお会いするようにしています。
誰もが弱い自分というものを恥かしく思いながら、
それでも絶望しないで生きている。
そうした姿をお互いに認め合いながら、
懐かしみ合い、励まし合っていくことができれば……
(美智子皇后殿下)


500万の軍隊がわずか一日で降伏に応ずる
という奇跡を生み出したのは、
昭和天皇の戦争終結の御聖断であったが、
それはまさに絶妙のタイミングで、
絶妙の方法で引き出されたのである。
77歳の老宰相、鈴木貫太郎によって。


空襲は激化しており、これ以上国民を塗炭の苦しみに陥れ、
文化を破壊し、世界人類の不幸を招くのは、
私の欲していないところである。
私の任務は祖先からうけついだ日本という国を
子孫につたえることである。
今となっては、ひとりでも多くの国民に生き残ってもらって、
その人たちに将来ふたたび起ち上がってもらうほか道はない。
(中略)
私は涙をのんでポツダム宣言受諾に賛成する。
(昭和天皇)


国体問題についていろいろ危惧もあるということであるが、
先方の回答文は悪意をもって書かれたものとは思えない。
要は、国民全体の信念と覚悟の問題であると思う。
このさい先方の回答を、そのまま、受託してよいと考える。
(中略)
国民が玉砕して君国に殉ぜんとする心持ちもよくわかるが、
しかし、わたくし自身はいかになろうとも、
わたくしは国民の生命を助けたいと思う……。
(昭和天皇)


昭和11(1936)年には二・二六事件が勃発。
日頃穏やかな陛下も憤激する日々が続いた。
その様子に良子皇后は侍従を呼んで、
涙まじりのお声でこう訴えられた。
――――――――――
このところのお上は、一週間も安眠されておりません。
夜中に起き上がられて、お部屋の中心をぐるぐる回り、
独り言をおっしゃり続ける毎日です。
こんな状態ではお身体がもたないと心配です。
どうかすみやかに、お上のおぼしめしが達せられるよう、
内大臣に話してください。
――――――――――
良子皇后が政治向きのことに口を出したのは、
後にも先にも、この時だけであった。


昭和16(1941)年12月にはついに大東亜戦争勃発。
国民の食糧事情が悪化するのに合わせて、
天皇の食事も麦をまぜたご飯に一汁二菜、
配給量も一般国民と同じにせよ、と命ぜられた。


寒さに耐えて戦う兵士たちのことを思われて、
日露戦争の最中、天皇は部屋の暖房を
入れることは許さなかった。
しかも、食事と睡眠の時をのぞいて、終日、
執務室で過ごされた。


江戸時代、京都の御所でひっそりと
民の安寧を神に祈っていた皇室で、
最初に幕府の政治に口を挟んだのが
孝明天皇の祖父・光格天皇だった。
天明7(1787)年の大飢饉の際に米価が高騰した折、
幕府の無策により、
お膝元の江戸でも民が打ち壊し(暴動)を起こした。


今日の文明化した欧米諸国を思い描いて、
「攘夷」とは文明国との自由貿易を拒否した
頑迷な封建思想と考えては誤りである。
当時の欧米諸国は、チベット、ウイグルを占領・搾取している
今日のシナと同様の侵略国家であった。
「攘夷」とはその侵略と戦って、
国家の独立を守ろうとする考えである。


内憂外患に十分対応できない幕府の威光が低下する一方、
光格天皇の努力により朝廷の権威は
徐々に輝きを増していった。


もし江戸時代中期にペリーの黒船がやってきたならば、
そもそも幕府が条約勅許を朝廷に求めることもなかったろうし、
外様大名や志士たちが攘夷倒幕のために、
尊皇を持ち出すこともなかったろう


天皇陛下の「祈り」は神武天皇の昔から、
ともに生きてきた国民の幸せを、
さらには世界の人類の幸福を、ひたすら願う「祈り」です。
目に見えない神々の世界と、目に見える国民の世界を結ぶ、
果てしなく広い「祈り」です。


皇室は自然現象のように勝手に
「続いてきた」のではありません。
代々の日本人が皇室を必死に「お守りして」きたのです。





engineer_takafumi at 22:21│Comments(0) ★一般書の書評 | ⇒ その他の本

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