2018年03月15日

小説作法

本日はスティーヴン・キング氏の
小説作法
です。
小説作法

本書はあのスティーブン・キングによる
小説の書き方の本です。

ジャンルとしては実用書になるのでしょうが、
自身の生い立ちなど、小説に近くできていて、
楽しみながら読むことができます。

もちろんそれ自体が良いお手本になっていて、
良い勉強になることでしょう。

副詞や受身を避ける、という話では、
例文が適切で効果を実感できました。


例文が英語なので、日本人にはニュアンスを
つかみにくいところも一部あるのが残念ですが、
短く、本質を突いた教訓は、
言語を超えて読者に染み込んできます。


個人的には、
作家の仕事は作品に成長の場を与え、
その過程を文字に写し取ることだ、
という部分が特に印象的でした。


文章を書くことを仕事にしていて、
上達したいと願う人にお勧めの一冊です。
ここに書いてあることのいくつかを守るだけで、
文章が大きく変わることでしょう。






文章とは何か
もちろん、テレパシーである。


語彙は道具箱の最上段に入れるのが普通だが、
意識して増やす必要はない。


語彙に関しては、適切で生きがいいと思える限り、
真っ先に浮かんだ言葉を使うという鉄則を
忘れてはならない。


消極的な愛人が受身の態度を好むと同様、
臆病な作者が受身に逃げる。
受身は安全なのである。


「集会は七時から開かれる予定」
→「集会は七時」


「遺体はキッチンから運ばれ、客間のソファに横たえられた」
→「フレディとマイラは遺体をキッチンから客間へ運んでソファに横たえた」


「はじめてのキッスは、シェイナとの恋がいかにはじめられたかについて、いつまでも私の記憶に留められることだろう」
→「シェイナとの恋ははじめてのキッスがきっかけだった。私は忘れない」


文章を二つに分けた方がわかりやすいことも、
この例から明らかだろう。


地獄への未知は副詞で舗装されている。


副詞はタンポポである。
芝生に一つ咲いている文には目先が変わって彩りもいい。
だが、抜かずに放っておくと、次の日は五つ、
また次の日は五十、そのまた次は……と切りがない。
しまいに芝生は、全面的に、完全に、淫蕩に、
タンポポに占領されてしまう。
タンポポは雑草だ、と気づいた時は、
悲しいかな、もはや手遅れである。


私が副詞を使うとすれば、理由は大方の作家と同じである。
副詞がないと読者にわからないのではないか、それが心配だ。


文章の極意は、不安と気取りを捨てることである。


読みやすい本はパラグラフが短く、
白く空いているところが多い。


小説におけるパラグラフは、旋律よりもリズム、
ないしはビートであって、構成ははるかに自由である。


小説の役割は文法の手本を示すことではなく、
物語を伝えて読者に喜んでもらうことである。


読む時間がなくて、どうして書く時間と資質があるものか。
わかりきったことではないか。


わけても職業は重要である。
読者は作中人物の職業に強い関心を示す。


作品は自立的に成長するというのが私の基本的な考えである。
作家の仕事は作品に成長の場を与え、
その過程を文字に写し取ることだ。


私は作者であると同時に、一番乗りの読者である。
先々何が起こるか知っている私にして
結末を正確に予測できないとすれば、
読者が期待に急かれてページを繰るであろうことは疑いない。


類比、直喩、暗喩など、比喩は呼んで嬉しく、
書いて楽しい小説の隠し味である。
穿った比喩は人混みで昔馴染みに出遭ったような感悦を誘う。
レストランと洞窟、鏡と蜃気楼など、
およそ無関係な事象を比較対照することで、
それまでにはなかった新鮮な目で
物を見るようになるところが比喩の効用である。


よくある間違いは常套句、あるいは言い古された比喩の濫用で、
総じて読書量の足りない書き手がこれで躓いている。


よくできた会話は人物の賢愚、善悪、あるいは、
愛嬌と因業の対比を炙り出す。


いつの時代にも、現実を見せつけられて煙たがる読者はいる。
しかし、それは書き手の問題ではない。
まっすぐに物を言う覚悟もなしに作家を志すとしたら、
その方がよほど深刻だ。


優れた作品は常に、事件ではなく人物が話を締めくくる。
つまり、情況の展開を担うのは飽くまでも人物である。


忘れてはならないのは、現実の世界に「悪玉」や、
「無二の親友」あるいは、「黄金の心を持つ娼婦」
などはいないことである。
現実の世界では、人はみな、自分こそが主人公であり、
大物だと思っている。


彼女は周期的に激しい気分変動を繰り返す。
だが、それを包み隠さず書いたのでは元も子もない。
「その日、アニーはどん底まで落ち込んで、恐らくは自殺を考えていた」
あるいは「その日、アニーはこの上なく気分爽快な様子だった」
と書かなくてはならないとしたら、
すでにして作品は失敗である。


パン生地を捏ねる要領と同じで、
原稿をどれだけ寝かせるかは作者の勘一つだが、
私は六週間を最低の目安としている。


私に言わせれば、日常生活の雑事に邪魔されようとどうしようと、
進行中の仕事にさしたる影響はないどころか、
むしろ、それによって仕事に弾みがつくことさえ
なきにしもあらずである。






engineer_takafumi at 19:45│Comments(0) ★一般書の書評 | ⇒ 書き方・話し方・言語

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