2018年04月16日

シェアしたがる心理

本日は天野 彬 氏の
シェアしたがる心理
です。
シェアしたがる心理~SNSの情報環境を読み解く7つの視点~

本書は電通にて、現在のメディア環境や
オーディエンスインサイトを分析している
というメディアのプロによる一冊です。


インスタグラムなどの画像や動画を中心とした
SNSを使ったコミュニケーションが
急速に広がってきています。

その中でコミュニケーションがどのように
変化してきているのでしょう。

今までの文字を中心としたコミュニケーションが
画像や動画に置き換わっただけではありません。
それは大きな質的な変化を伴っています。

例えば、情報は「ググる」から「#タグる」へ。
つまり、膨大なWebをテキスト検索するのではなく、
SNSの中で自分と属性が近いユーザーが
発信する情報を集めるように
なってきているのです。

当然、このような志向の変化は
若年層を中心に起こっていきます。
つまり、これから消費者の中心となる
今の若者世代の動向を示していると言えます。

本書は表面的な話だけでなく、
抽象度を高めた深い考察があります。
多少難解ですが、社会学的な文献としても、
十分耐えうるものだと感じました。


個人的には、「本当の自分の欲望」とそうではない
「偽者の欲望」という分割線自体を問い直してみよう、
という部分が非常に印象的でした。

例えば、SNSにあげる写真をとるために、
ナイトプールに行く、といった行動を
愚かと見る向きもあります。

しかし、そこで馬鹿にして思考停止、ではなく
彼女らが正しいという前提で、
その中にどんな世界観があるのか、ということを
問い直してみることが大事なのでしょう。


SNS関連のPRを担当している方には
必読の一冊だと思います。
SNSによって形作られたマーケットを
読み解くヒントがつまっています。



かつては、「特別なイベントの記録」
であった写真や動画は、いまや
「感情や状況を人と共有するコミュニケーションの道具」
になっている


なぜ日本人は内側に向けるのではなく、
外側に向けられたカメラで撮影することをより好むか


スマートフォンの代名詞ともなっているiPhoneは、
歴史上もっとも速く世界中に普及した
工業製品であったのだ。


主体を確定する要件は、
何を考えるのかということではなく、
何をシェアしているのかによるのだ


SNSでシェアするまでがイベントです


ビジュアルコミュニケーションは
体験を切り取りシェアすることを促す性質を持っているので、
どうしても提示的なコミュニケーションとなりがちではある。
つまり「アピールしている要素」は
多かれ少なかれ出てしまう。


GENKINGさんは、
SNSをやる理由は自慢に他ならないんだと喝破する。


自慢はそれが承認されることによってこそ
中毒的な快感を生む。


何を買ったのか、何を持っているのか
ということよりもはるかに、
自分がどんな体験をしたのかということの方が、
自分がどんな人間であるかを説明するようになっている


SNSのユーザーはリサーチモード
(検索、探索のためのスタンス)が主であり、
何かを決断するというよりは決断せずに
たゆっている時間や体験を楽しんでいるのではないか


スナップチャットは写真や動画をシェアすることを
「会話」のようなものと捉えている


「消える」「盛る」「ライブ」……
こうした特性を持つユーザー像を簡潔ながら
描き出すとすれば、
1,短く残らない動画を好んでつくり消費し、
2,自分や体験を盛ってコンテンツ化しつつ、
3,ライブでいまのことにフォーカスして発信している
というイメージになる。


ユーザーが遊ぶための素材として活用することで、
使ってもらえる広告として機能する


友達から「別人」と思われるようでは
「盛れすぎ」でダメなんです


2006年くらいからでしょうか、女の子たちの
「元からかわいい子よりも、努力してかわいい子の方が好き」
という価値観が表面化してきました。


いまここにいる私と、
ビジュアルコミュニケーションの中で
表象され流通されていく私との分裂を問題視することなく、
アイデンティティの揺らぎや拡張を
むしろ受容し積極的に楽しむ


上の世代と隔絶したコミュニティーをつくることは、
大人の文化や社会への一つの反発、
反抗のかたちもありますね。


今の若い人たちは、"リアルな私"と
"SNS上の私"が矛盾なく共存しているということ。
"盛った自分"も『私である』と
認識している点に新しさを感じます。


自分がこれまでとは違う自分になることは
端的に楽しいことなのだ!


(若年層は)電話は編集ができないから嫌がられるのだ


自分が発信したものはいつでもエディットできる
という感覚に慣れた世代にとっては、
一方的にコミュニケーションが接続され、
しかもそこでのやりとりは自分の意図しない形で
伝わってしまうリスクが、
エディットする余地すらないままに
伴われてしまう電話は恐ろしいものに感じられるのだろう。


「いつでも視聴可能」なコンテンツは
かえって視聴することから遠ざかってしまうように、
あるいは消えてしまったりライブで
その時しか見られないという制限があるからこそ
「見よう」という態度変容が起こるように、
私たちは、その時間に込められた
強度/密度/濃度を視野に入れるようになっている


タグるは、Tagging(タギング:タグ付けすること)
+手繰るという造語で、
インスタグラムはツイッターなどのSNSでの投稿に
ハッシュタグを振って、それに基づいて欲しい情報を
"手繰る"ように獲得していくという特性を意味しており、
ユーザー主導で情報の発信と整理をしながら、
それを検索して相互参照し合うさまを
あらわしているのだった。


ビジュアルコミュニケーションとは
そもそも憧れを喚起するものである


バイラルするコンテンツが持つ特性として、
ソーシャルカレンシー(他人に自慢できること)、
トリガー(思い出しやすいきっかけ)、
エモーション(強い意外性)、
パブリック(人の目に触れる)、
プラクティカルバリュー(実用的な価値)、
ストーリー(物語)といった
6つの要素を挙げている。


私たちは自尊心(self-worth)を他者からの
社会的なフィードバックによって保つしかなく、
現在のSNSはそのような機能を代替し始めている


「人」からのレコメンドで私たち生活者の
欲望/ニーズが喚起される形式は、
ビジュアルコミュニケーションの時代において
より一層強くなってきている。


「シミュラークル型」とは、(中略)
明確な発信者、つまりオリジナルとしての
情報の起点や発端があるのかよくわからないままに
網状に情報がコピーされ、
それに促されるように「あるある」的な
共通認識が生まれたり、
それに基づいた情報行動が起こるようになる現象
を指している


シミュラークルは国境を越えた
ビジュアルコミュニケーションを促進し、
観光客の行き来を増やしながら、
分断されつつある世界をつなぎとめることに
いくばくか寄与するかもしれない


卒業アルバムは総じて写りのクオリティに
満足いくことが少なく、
あとで掘り返されたときに恥ずかしい
「黒歴史」的な扱いを受ける……
そんな若年層のインサイトをうまく踏まえて、
後で見返したくなるような盛れてる
卒アルがつくれるという施策を設計。


体験は何も売場だけの占有物ではない。
私たちの自宅、自室も「それ」が
起こる場になるということ。


スタイルや見せ方を継続すること、
そしてそれによって生まれてくる
統一感を大切にすること。


ビジュアルによる世界観の統一は
インスタグラムならではだと言えるだろう。


世界観の構築はインスタグラムの方が適している。


お題をあえてゆるく設定しておくことで、
遊べる余白を残しておくこと。
これによって創意工夫が生まれ、
バリエーションが出てくるので
ユーザー自身が参加するモチベーションが高まる。


お金を出して買ったプロダクトとは別に、
値付けができないようなかけがえのない体験も
ブランドと紐づけられてシェアされていった


本書の7つの視点
1,SNSのビジュアルコミュニケーションシフト
2,体験のシェアとSNS映えの重視
3,なぜいま「消える」動画が求められるのか?
4,動画フィルターに至るまでの日本の「盛り」文化を紐解く
5,ライブ動画のSNSシフトに注目
6,「ググる」から「タグる」への拡張する情報行動
7,シェアしたがる心理とそれが生み出す「シミュラークル」


人々の欲望は複製され、ユーザー間で
「こういうことがしたい」という
体験消費への欲望が創発される。


ユーチューブやヴァイン(Vine)で見られる動画の魅力は、
つくっている人はアマチュアだが
更新頻度が高くて見飽きないところにある


一つ一つのネタや動画の質といった
コンテンツの中身の問題というより、
それが届けられるスピードや選択肢の話に
フォーカスされていることが分かる。


情報が高度に並列化される社会においては、
オリジナルの存在しない情報の拡散が
人々の予期せぬアクションを引き起こしてしまう


「本当の自分の欲望」とそうではない
「偽者の欲望」という分割線自体を問い直してみよう


インスタグラムの写真を見てナイトプールに行きたくなって、
そこでみんなと同じような写真をアップして
シミュラークルの結節点となった女の子の体験は、
本物ではなくまがい物と呼ばれなければ
ならないのだろうか?


これまでのカメラの「撮る」機能は
私たちの記憶をより強化するものだったが、
これからのカメラは、画像認識技術を活用した
アプリケーションと一体化することで、
私たちの視覚をさらに強化するような
「見る」ことの領域へと拡張される。


ビジュアルイメージにおいては解像度の低さこそが
憧れを生み出す側面が間違いなくある






engineer_takafumi at 01:00│Comments(0) ★一般書の書評 | ⇒ ビジネスその他

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