2019年01月30日

はじめての解析学

本日は原岡 喜重 氏の
はじめての解析学
です。


本書は数学の「解析学」という分野について
書かれた一冊です。

「解析学」とは微積分学にはじまり、
微分方程式や複素関数論などを包含した学問で、
一言でいうと「変化」を解析する学問です。

物理など、広く応用されている分野になります。


本書は数学の中で、微分方程式の代数的側面を
専門とする著者による一冊です。

解析学の多くの分野は専門外という著者ですが、
そのおかげで私のような素人にも
なんとか読める一冊に仕上がっています。

普通、数学は「定理→証明」の繰り返し、
という学問なのですが、本書ではその背景や
意味も触れてくれているので、
全体の見通しを立てやすい一冊でした。

私は普段数学に触れることは多いのですが、
数学の知識は大学教養課程程度でとまっています。

そんな私でも、本当に数学を専門とする方々が
世界をどのように見ているのか?
その一端を知ることができました。


個人的には、本書の前書きが印象的でした。
「自然の本質は変化です」にはじまり、
必要十分な言葉で解析学の本質が語られており、
数学という学問を研究する人らしい
美しい文章だな、と感じました。

私もこんな文章がかけるようになりたいと思いました。


数学を専門としない、理工系の大学(院)生、
研究者、エンジニアなどにお勧めの一冊です。
解析学を通じて、数学的なものの見方を
比較的らくに身につけることができるでしょう。



自然の本質は変化です。
人類は自然がどのように振る舞うのか、
つまり自然がどう動くのかを知りたいと願ってきました。


生物は経験によって自然の動きを知ります。
これまでこうだったから、これからもこうだろう、と
(時には幾世代にもまたがる)帰納に基づいて行動します。


人間が他の生物と違うのは、
もちろん経験で知る部分も大きいけれど、
自然の中に法則を見つけ、演繹によって
自然の動きをとらえようとするところです。
その営みが自然科学です。


本書の標題にある解析学とは、
数学としてこの変化を調べる学問です。


解析学は変化を扱う学問であると述べましたが、
無限を扱う学問という言い方もできるかと思います。


アルキメデスは論証では無限の怪しさにつきいる隙を与えず、
一方発想においては無限(無限小)を大胆に使いこなして、
それまで誰にも知られていなかった事実を発見したのです。


アルキメデスは円の面積や球の体積・表面積を求めたので、
これは積分を実行したことになります。
(中略)
つまりアルキメデスは微分を使わずに
積分を行ったことになります。


ガリレオの時代にはまだ速度が定義できていなかった。


距離が時間に比例しないときには、
「速さが変化している」ということになりますが、
その変化している最中の速さを
定義する方法は見つかっていませんでした。


ガリレオにはなくて、
ニュートンにはあったものがあるからです。
それは微分です。


解析学では、「難しい」微分を「易しい」積分で
置き換えて研究するのがスタンダードな手法と
なっています。


部分積分は、f(x)の微分をg(x)に押しつける
という形をした公式で、
そのため本書の後半で紹介する超関数の理論を始め、
解析学における議論で鍵となる重要な働きをするのです。


数を足すときには、
その結果は足す順番にはよりませんでした。
(中略)
無限個のものを足す、ということで、
我々の常識が通じない不思議な世界に
迷い込むことになってしまいました。


18世紀までは、有理数以外の実数があることはわかっていて、
例を挙げろといわれたらいくつでも挙げられるけれど、
実数そのものの認識は実は何もできていなかった
と思われます。


有理数からなるコーシー列を実数と定める


実数には、有理数にはなかった重要な性質があります。
それは完備性と呼ばれる性質で、
実数の性質のうちで最も著しいものです。


完備性:
実数からなるコーシー列は実数の範囲に極限を持つ


上に有界な単調増加数列は必ず極限を持つ


あらゆる実数は小数展開できる


実数に名前をつけることはできない


フーリエの研究にはsin nx(n=1,2,3,…)の無限和が現れ、
その無限和が初等関数をうまく組み合わされることで
表される、というようなことはほとんど期待できない
状況が明らかになりました。


「どのように値が決まるか述べられる関数」は、
関数全体の中のほんの一部にしかなりません。


ディラックのデルタ関数のように、
関数とはならないようなものでも積分を通して
その意味を発揮させることができます。


この公式(部分積分の公式)は、
「左辺にあるf'(x)を微分する前のf(x)で表している」
と読むことができるのです。


注目すべきはこの右辺にf(x)の微分が現れないことです。
すなわちこの等式は、f(x)が微分可能でない場合でも
超関数f'が定義できることを意味しています。
これが超関数のよいところで、微分できない関数であっても、
超関数と思うと微分できることになるのです。


超関数の見方においては、積分をしたときに
どんな値になるかということのみが本質的なのです。


リーマン積分においては縦長の長方形の
面積の和を考えましたが、
ルベーグ積分では横長の長方形の面積の和を考えるわけです。


連続関数を考える限りは、リーマン積分とルベーグ積分に
違いはありません。


ルベーグ積分の本領は、従来の関数をおもうと
とてもたちが悪いややこしい関数の積分に発揮されます。


このようにベキ級数を複素変数で考えるというのは、
多項式の場合と同様にごく自然な発想で、
オイラーをはじめとする優れた数学者たちは、
何ら躊躇することなくベキ級数を複素変数で考えていました。


特異点では係数が無限大に発散するので、
できればそんなところではものを考えたくないのですが、
特異点にこそ情報が集約しているというのがプロの見方です。






engineer_takafumi at 22:46│Comments(0) ★理系本の書評 |  ⇒ 数学

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