2019年09月08日

上級国民/下級国民

本日は橘玲 氏の
上級国民/下級国民
です。


最近、引きこもりの男性が突然
突然凶悪事件を起こす、
と事件がたびたび発生しています。

また、日本人の中でも、経済的な格差が
急速に広がっているということも
ほとんどの人が感じているでしょう。

また、世界に目を移しても、
アメリカのトランプ大統領の当選や
イギリスのEU脱退など
今まででは考えられないことが起こっています。

この根本にあるのは、本書のタイトルにある
上級国民と下級国民、すなわち
世の中の分断があります。

本書はタブーに切り込んだ名著
言ってはいけない の著者が
世界レベルで急速に進行する
分断の正体について書いたものです。

団塊の世代とその下の世代の分断、
高学歴と軽学歴の分断、
モテと非モテの分断、白人と黒人の分断など、
世の中の分断の構図と理由を示してくれます。

何となく感じていたけれども、
誰も教えてくれなかったことが、
的確に考察されており、興味深い一冊でした。

あまり大きな声では言えないような事実もあるので、
橘 氏ならではの本だと思います。


特に、女性の方が幸福感が強い理由、
そして、そのことが公には語られない理由が
特に印象的でした。


社会問題に関心のある方にお勧めの一冊です。
きれいごとではない、社会の本当の姿に
近づくことができるでしょう。




平成の日本の労働市場では、若者(とりわけ男性)の
雇用を破壊することで中高年(団塊の世代)の
雇用が守られたのです。


日本でも生産性が低かった工場の6割から7割は閉鎖されています。
しかし不思議なのは、生産性が高かった工場も
同時に閉鎖されていることです。


日本経済の問題はITへの投資額が少ないことではなく、
投資の成果が出ないことです。


「働き方改革」は、団塊の世代が現役を引退したことで
はじめて可能になったのです。


平成が「団塊の世代の雇用(正社員の既得権)を守る」
ための30年だったとするならば、
令和の前半は「団塊の世代の年金を守る」
ための20年になる以外にありません。


現代日本社会において、「下流」の大半は
高卒・高校中退の「軽学歴」層なのです。


「すべての子どもが努力して勉強し、大学を目指すべきだ」
という現在の教育制度が、学校や勉強に適応できない
子どもたちえを苦しめているという現実です。
授業の内容がまったく理解できずに中学3年間を過ごせば、
同じことを高校で3年やっても意味が無いと思うでしょうし、
ましては大学や専門学校に進学しようなどとは考えないでしょう。


教育の本質は「上級/下級」に社会を分断する
「格差拡大装置」であることを、
福沢諭吉は正しく理解していたのです。


「女性は男性より幸福度が高い」というのは、
フェミニストにとってよろこばしいことのはずですが、
この事実はこれまでずっと無視されてきました。
これには理由があって、
「幸福なんだからいまのままで(女性が差別されたままで)いいだろう」
という男尊女卑の肯定になりかねないからです。


現代の進化論は、
「男女の性戦略の対立から、人間社会は一夫多妻にちかい一夫一妻になった」
と考えます。
甲斐性(経済力)があれば何人もの女性を妻(愛人)にできますが、
甲斐性がなければせいぜい1人です。


男の性淘汰では、「持てる者」になる(高い階級に達する)ことと、
女性に「モテる」ことが一致します。


思春期になると若い女性が冒険的になるよう
進化の過程で「設計」されている可能性は捨てきれません。


女集団ではメンバーの移動が頻繁に起こるからではないでしょうか。
それまで一緒にいたメンバーが他の集団に移り、
新しいメンバーが加わるとすれば、固定した階級を作ることができず、
そのつながりはゆるいものになるでしょう。


「男女の性戦略の非対称性」の結果、
男は年をとると友だちがいなくなり、
女はいくつになっても新しい友だち関係をつくることができます。


一夫多妻というのは、同時に複数の女性を妻にすることです。
先進国で増えているのは結婚と離婚を繰り返す
「事実上の一夫多妻」です。


「男一般」ではなく、「非モテの男」が差別されている


国民生活基礎調査(2017年)によれば、
18歳未満の子どものいる家庭にかぎれば、
年収1000万円以上の世帯は18.6%と5世帯に1世帯です。


一夫一妻は非モテの男に有利で、
一夫多妻はモテの男とすべての女性に有利な制度です。
インセルはそのことに気づいたからこそ、
社会を一夫多妻に誘導する自由恋愛をはげしく攻撃するのです。


社会からも性愛からも排除された男が復讐すると「神」になり、
そのような男を共同体から排除すると
「英雄」とみなされるのです。


これは逆にいうと、
「本人の意思(やる気)で格差が生じるのは当然だ」
「努力は正当に評価され、社会的な地位や経済的な豊かさに反映されるべきだ」
ということになります。
これが「能力主義(メリトクラシー)」であり、
リベラルな社会の本質です。


社会がリベラルになればなるほど、
何歳になっても働いて納税したり、
リタイアしてからも健康の許すかぎり
地域のボランティアに参加するなど
「自分はこうやって社会に貢献している」と
アピールしなければなりません。
「生涯現役社会」とは、
「生涯にわたって社会に参画しつづけなければならない社会」
でもあります。


最先端のテクノロジーを開発する少数の知識層
(その象徴がシリコンバレーの起業家)に
莫大な富が集中する一方で、
基礎的な技術を理解することはもちろん
使いこなすことすら困難なひとたちが
膨大に出てくることになりました。
「デジタル難民」は高齢者だけでなく、
最近ではスマホのフリック入力しかできない若者が増えて、
キーボードが打てないために
事務作業を任せられないという話も聞きます。


アメリカ全体でも平均寿命は延びつづけていますが、
奇妙なことにアメリカの25〜29歳の白人の死亡率は
2000年以降、年率約2%のペースで上昇しています。
50から54歳の白人ではこの傾向はさらに顕著で、
なんと年率5%のペースで死亡率が上がっているのです。


グローバル化によって数億人が貧困から脱出したことで、
世界全体における不平等は急速に縮小しているのです。
ただし、ここには問題がひとつあります。
世界が「全体として」ゆたかになった代償として、
先進国の中間層が崩壊したのです。
これが、私たちが体験していることです。


「自己実現」と「自己責任」の論理が徹底されたアメリカでは、
10億ドルのボーナスを受け取る投資銀行のCEOには
それだけの価値があり、
時給14ドルの若者にはそれだけの価値しかないことを、
当の貧しい若者が率先して受け入れるようになります。
この事態に対して教育は無力なばかりか、
経済格差をさらに拡大するようになります。


アメリカでは、白人は歴史的に黒人を差別してきた
「原罪」があるとされるため、
アンダークラスの白人は誰からも同情されません。
まさに「見捨てられたひとびと」です。





engineer_takafumi at 16:32│Comments(0) ★一般書の書評 | ⇒ ビジネスその他

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