2020年06月06日

僕らはそれに抵抗できない

本日はアダム・オルター 氏の
僕らはそれに抵抗できない
です。


薬物、ギャンブル、ネットゲーム
お菓子、薬物、アルコール、
世の中に「依存症」はたくさんあります。

本書はニューヨーク大学の
マーケティング学科の准教授である著者が、
依存のメカニズムを科学的に解明した一冊です。


依存は環境に依存するであるとか、
完了した話より、未完了の話に心をひかれるなど、
なんとなく感覚的につかんでいる話もあれば、
薬物の依存者が実際には依存対象に嫌悪感も
持っているという、意外な事実もあります。

そんな事柄を含めて、
依存症のメカニズムというものを徹底的に
解明して、言語化しています。

この知識は生活者として、
依存から逃れるために使うか、
商売者として依存させるために使うか、
という二通りがあると思います。

これは対立のようにも見えますが、
テトリスに対する依存のように、
両者悪くない依存も少数ながら存在します。

これからの自体は、このような、
お互いに良い「依存」を
設計しなくてはいけないのかな、と感じました。

そんなことを考えるためにも、
依存のメカニズムを知ることは重要です。


個人的には、
ビギナーズラックが人を依存させる
メカニズムの部分が印象的でした。

ビギナーズラックにより、
人が非現実的な野心を抱くことが
本質的なのですね。

実は、私はビギナーズラックというものを
経験したことがないので、
その意味が初めて理解できました。


本書は一般的な教養として、
全ての人に読む価値がある一冊だと思います。
世の中にあふれている危険な「依存」に、
おかされない方法がわかるでしょう。




インスタグラムに依存性がある理由は、
「いいね!」で支持される写真とそうでない写真が
ランダムに発生するからだ。


人間の35%がわずらう疾患なのであれば、
それは人間の本質の一部だ。
治療対象とするのは間違っている。


現代では、幼い子どもでも、
コカインは危険だと教わっている。
ほんの1世紀前には専門家がこれを万能薬と
考えていたなどと、信じるのも難しい。


イギリスの研究者が
さまざまな薬物の害を調べた研究では、
ヘロインが一番タチが悪いことがわかっている。
身体への害、依存症のなりやすさ、
そして社会的損害の大きさという3つの基準で計測すると、
3つすべてにおいて最高のスコアが出た。
ヘロインは、世界に出回っている中でもっとも危険で、
もっとも依存性の高い薬物だった。


ベトナム帰還兵について調べた研究者
リー・ロビンスを救う答えは、
このジム・オールズの研究室にあった。
兵士たちがヘロイン中毒から回復できた理由は、
彼らが依存症になった環境を離れたからだったのだ。


大半のヘロイン常習者がクリーンでいられないのも、
これが理由だ。
犯罪に手を染めた現場に戻ってしまうと、
檻に戻されたサルのように、
彼らは薬物を再開せずにはいられない。
何しろ依存症だった時期を思い出させる友人にも会うし、
前と同じ家に住んでいるし、同じ地域を歩くのだ。
クリーンになったからといって何も変わらない――


他人に薬物や行動を強要されるだけでは条件はそろわない。
心理的苦痛を癒すものとして
確かに効果的だと当人が学んでしまうことも、
条件の1つなのだ。


依存症になるリスクが最も高いのは
成人になりかける頃である。
思春期に依存症にならなければ、
のちに発症する確率はかなり低い。
理由はいろいろあるが、とりわけ大きい要因は、
この時期の若者は自分の能力では
まだ対処しきれない責任を無数にしょわされる点だ。


私が取材した現在および元行動嗜好性患者の多くが、
同じことを口にした。
依存行動は決して甘美ではない、と言うのだ。
目先の強い満足感に浸っている最中にも、
自分の幸せを蝕んでいることを
忘れたくても忘れられないのだという。


べリッジらの実験が明らかにしたのは、
薬物に対する「好きであるということ(好感liking)」と
「欲しいこと(渇望wanting)」は
別物であるという事実だった。
好きなだけでは依存症とは言わない。
依存症患者というのは、
摂取している薬物が好きな人のことではなく、
むしろ生活を破壊する薬物への嫌悪感をつのらせながらも、
たまらなくその薬物を欲しがる人のことなのだ。
渇望は好感とは比べものにならないほど排除しにくく、
だからこそ依存症の治療はこれまでに難しい。


人を破壊する薬物を好きだと思わなくなっても、
脳はまだ薬物を欲しがるのだ。
その薬物が過去に心理的な希求を満たしてくれたことを
脳が覚えているせいで、渇望が消えないのである。


目標は高くなる一方で、依存的な追求に油を注ぐ。
つねに何かの目標に失敗している自分として生きながら、
何かに成功するたび、
また新しく野心的な目標を掲げずには
いられなくなるのである。


エサが出る確率を100%でなく50%から70%の
確率にしたときのほうが、
ハトはまるで小さなギャンブラーのように、
ボタンを猛烈につつきまくった
ただし、エサの出る確率を10%にすると、
心が折れるらしく、まったくつつかなくなった


それまで人生をかけて当たりを追い求めてきた男は、
次々と当たりを引くようになって、
生きる理由を失った。


ビギナーズラックには人を依存させる力がある。
成功の喜びを教え、次にその喜びを奪い取ってしまうからだ。
ビギナーズラックを体験したせいで、
人は非現実的な野心を抱き、
本来ならば熟練者にこそふさわしい高すぎる期待を抱く。


期待が外れるたび、手に入るはずのものが
入らないという喪失感のほうが蓄積し、
最初の(不釣り合いな)栄光を取り戻すために
なおさら激しくのめりこむ。


順風満帆な生活は表面的には魅力的に思えるが、
その魅力はすぐに色あせる。
人間は誰でも、ある程度の範囲で、
敗北や困難や試練を必要としているのだ。
それが一切ない状態では、
成功のスリルや喜びも、勝ちを重ねるたびに薄くなる。


テトリス遊びが長続きする理由は、
テトリスが自分と一緒に成長していくからだ。


上達すると脳が効率的になるので、
それも快感と感じる一因である。
実際、テトリスは
「脳の機能と効率性を向上する初めてのビデオゲーム」
として、1991年にはギネス世界記録に承認された。
この評価の裏付けとなったのは、カルフォルニア大学の
心理学者リチャード・J・ヘアーの研究だ。


教師が生徒に対して越えるべき明確なハードルを示し、
なおかつ、それが既存の能力に対して過酷すぎない
(完全に歯が立たないほどではない)
ようにするのが効果的、というわけだ。


今日は1万4000歩しか歩けなかった。
すごく疲れているし、休憩が必要だけれど、
あと2000歩を稼ぎに行かなければならない。


人間は完了した体験よりも、
完了していない体験のほうに、強く心を奪われる。
これが「ツァイガルニク効果」と呼ばれる社長だ。


だいたいはみんなと一緒で、
ときどき自分だけ特別――という、
この2つが一番いいバランスで感じられる状態のことを、
心理学では「最適相違」と呼ぶ。
他人とほぼ意見が一致しているが、
すべて一致するわけではないというときに、
この最適相違になりやすい。


若者がネットゲームでの人間関係に
のめりこむことが危険である理由は、
「それで何が生じてしまうか」ではなく、
「それで何が生じないか」という点にあるのだ。
他人と向き合い、顔を顔を合わせ、
会話を続けていくとはどういうことなのか、
学ぶ機会が生じない。


ウェブカメラでコミュニケーションするときは、
顔を合わせているように見えて、
実際にはお互いの目を見ることがない。
画面を見ていればカメラから視線は外れるので、
視線が完全に一致することはないからだ。


外発的動機は生産性の足を引っ張ることがある。
労働者から本物の内発的動機を奪うことになるからだ。


意志力を使うというのは、
おいしそうなチョコチップクッキーを目の前にしながら、
それを拒絶することです。
一方、最初からそんなチョコチップクッキーを
そばに置かないようにするのが、良い習慣です。


第1話を最初から最後まで42分間観るのではなく、
例えば37分で、クリフハンガーが始まる前に
観るのを切り上げるのである





engineer_takafumi at 00:41│Comments(0) ★一般書の書評 | ⇒ 勉強・教育・心理

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