2013年03月18日
「編集手帳」の文章術
本日は竹内政明氏の
「編集手帳」の文章術
です。


本書はプロの文章術を学びたくて購入しました。
今まで色々な人の文章術の本を読んできましたが、
この本は少し異色の感じがしました。
というのも、著者の好き嫌いというものが
強調されているような気がしたからです。
こんな言葉は嫌いだとか、文章はこうあるべきとか
正直「いまどきの若い者は」という
愚痴に近いような印象さえ持ちました。
ただ、本書の著者は「編集手帳」の筆者です。
普通の記事とは目的や趣向が異なるので
記事のように人に効率よく伝える文章とは、
当然、書き方も変わってくるのでしょう。
コラムは毎日読むものですから、多彩さより、
水戸黄門のような安定感が求められます。
そのためには、ブレない文章観が必要なのです。
それはわがままで良いのです。
辛口のスタンスが貫かれている芸能人や政治家と
同じようなものなのかもしれませんね。
ちょっとした一言を書く人にお勧めです。
そんな文章を書くためのヒントが
いっぱい詰まっている一冊です。
「編集手帳」の文章術
です。

本書はプロの文章術を学びたくて購入しました。
今まで色々な人の文章術の本を読んできましたが、
この本は少し異色の感じがしました。
というのも、著者の好き嫌いというものが
強調されているような気がしたからです。
こんな言葉は嫌いだとか、文章はこうあるべきとか
正直「いまどきの若い者は」という
愚痴に近いような印象さえ持ちました。
ただ、本書の著者は「編集手帳」の筆者です。
普通の記事とは目的や趣向が異なるので
記事のように人に効率よく伝える文章とは、
当然、書き方も変わってくるのでしょう。
コラムは毎日読むものですから、多彩さより、
水戸黄門のような安定感が求められます。
そのためには、ブレない文章観が必要なのです。
それはわがままで良いのです。
辛口のスタンスが貫かれている芸能人や政治家と
同じようなものなのかもしれませんね。
ちょっとした一言を書く人にお勧めです。
そんな文章を書くためのヒントが
いっぱい詰まっている一冊です。
プロのコラム書きも、第一感は捨てるのが普通です。
何の話題を取り上げているのか、
読んでみないことには見当のつかないのが一面コラムです。
年月日から書き出さないのは、
年月日それ自体に読者の興味をひく要素が無い上に、
何よりも数字が読み手にとって煩わしいからでしょう。
会話分から入らないのは、
書き出しの手法としていちばん安直だからかも知れません。
文章を書くとは、誇り高き独裁君主の仕事です。
気心の知れた腹心の言葉たちだけを召し出し、
気心の知れない言葉たちには所払いを言い渡し、
一から十まで自分の気に入ったように組み立てて書く。
陳腐な言葉をやむを得ずに使うときは、
非常手段として頭に「いわゆる」を付けて使う手がありますが、
もはや「いわゆる絆」の形でも使う気分になれません。
つかえたり、息継ぎが苦しくなったりしたときは、
かならずそこに何かしらの欠陥が潜んでいます。
文章上の不良品を嗅ぎ分けて、「耳」ほど優秀な感知器はありません。
体言止めは一種の思考停止といいますか、
役者をちりばめる努力の放棄を意味しますから、
そうたびたびは使えません。
「インターネットを駆使したり、図書館に足を運んだりすれば、
このくらいの引用は自分にも出来る」と読者に思われたら、
引用者の負けです。