2013年03月20日
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本日はジョン バージャー氏の
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です。


本書は視覚文化論の古典と聞き、興味を持って購入しました。
「見る」ということは誰にでもできるようで
実はそれほど簡単なことではありません。
確かに網膜に映るものはみな同じかもしれませんが、
人がモノを見る時は必ず脳のフィルターを
通しているのです。
本書は芸術作品や広告を通して、
この「見る」という行為を深く掘り下げます。
学術的な本で難解ではあるのですが、
視覚の本ということで絵や写真が多く、
理解を助けてくれます。
古典らしくさらっと読めるような本ではありません。
ただ、本気で芸術や広告などを創ろうとする人には
多くの気づきをもたらす一冊となるでしょう。
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です。

本書は視覚文化論の古典と聞き、興味を持って購入しました。
「見る」ということは誰にでもできるようで
実はそれほど簡単なことではありません。
確かに網膜に映るものはみな同じかもしれませんが、
人がモノを見る時は必ず脳のフィルターを
通しているのです。
本書は芸術作品や広告を通して、
この「見る」という行為を深く掘り下げます。
学術的な本で難解ではあるのですが、
視覚の本ということで絵や写真が多く、
理解を助けてくれます。
古典らしくさらっと読めるような本ではありません。
ただ、本気で芸術や広告などを創ろうとする人には
多くの気づきをもたらす一冊となるでしょう。
我々は視線を向けるものしか見てはいない。見ることは選択である。
この選択行為によって、我々の見るものは我々の理解の範囲内に置かれる
"芸術作品"はあたかもそれらが神聖な遺跡のように語られ、指示されている。
遺跡とはつまり、まず第一にそれらがずっと生きのびてきたことの
証明なのである。
広告はすべての歴史を神話にしてしまう。
見ることは[I see]、すなわち「わかる」という言葉と同義であった。
人間の眼に取って代わった写真の眼を構成する一組のレンズは、
まさに[Objective(客観的なもの)]と呼ばれているのである。
広告世界は、性や死のイメージを商品化することでも成り立っているのである。