2015年02月10日
採用基準
本日は伊賀 泰代氏の
採用基準
です。
本書はちきりんさんが推薦しているのを見て
興味をもって購入しました。
著者は国内大手金融機関→米国MBAを経て、
マッキンゼーに入社、コンサルタントとして数年働いた後に
日本法人の採用マネージャーを勤められています。
まさに、マッキンゼーの採用を取り仕切る方なのです。
マッキンゼーの採用なんて、黙っていても優秀な人材が集まるので、
素人目では良いポジションではないかと思うのですが、
実際は採りたい人物像と応募者のギャップは小さくないようです。
その中で、著者が特に主張するのは、
日本人の「リーダーシップ」が圧倒的に足りないということです。
そして、本書の大半は「リーダーシップ」について割かれています。
リーダーシップといっても、どこまでがリーダーシップなのかという、
言葉の定義の問題もあるのですが、
著者がいうリーダーシップが日本人、日本企業に欠如しており、
グローバルの企業では必須の能力である、
ということが良く理解できました。
日本企業に長年勤めていると、それが普通と思ってしまいますが、
少なくとも、グローバルではそれは異常な環境である、
ということは理解しておかねばならないと感じました。
個人的には、思考体力という考え方、
マッキンゼーに入社することが目的となっている人達への指摘が
強く印象に残りました。
日本企業に勤めるビジネスマンにはお勧めの一冊です
日本企業では問題意識さえ持てない、グローバルで仕事をするのに、
必要な能力を理解できることでしょう。
採用基準
です。
本書はちきりんさんが推薦しているのを見て
興味をもって購入しました。
著者は国内大手金融機関→米国MBAを経て、
マッキンゼーに入社、コンサルタントとして数年働いた後に
日本法人の採用マネージャーを勤められています。
まさに、マッキンゼーの採用を取り仕切る方なのです。
マッキンゼーの採用なんて、黙っていても優秀な人材が集まるので、
素人目では良いポジションではないかと思うのですが、
実際は採りたい人物像と応募者のギャップは小さくないようです。
その中で、著者が特に主張するのは、
日本人の「リーダーシップ」が圧倒的に足りないということです。
そして、本書の大半は「リーダーシップ」について割かれています。
リーダーシップといっても、どこまでがリーダーシップなのかという、
言葉の定義の問題もあるのですが、
著者がいうリーダーシップが日本人、日本企業に欠如しており、
グローバルの企業では必須の能力である、
ということが良く理解できました。
日本企業に長年勤めていると、それが普通と思ってしまいますが、
少なくとも、グローバルではそれは異常な環境である、
ということは理解しておかねばならないと感じました。
個人的には、思考体力という考え方、
マッキンゼーに入社することが目的となっている人達への指摘が
強く印象に残りました。
日本企業に勤めるビジネスマンにはお勧めの一冊です
日本企業では問題意識さえ持てない、グローバルで仕事をするのに、
必要な能力を理解できることでしょう。
「頭の中から、解法という知識を取り出すこと」と「考えること」が
まったく異なる行為であることを、コンサルタント、
すなわち面接担当者は日々、徹底的にたたき込まれています。
ケース問題は「答えを探すゲーム」ではなく、
「自分の思考プロセスを展開し、開示するためのツール」
にすぎないのです。
面接担当者との会話の中で、相手の表情の変化さえ読もうとせず、
ひたすらに自分が考える正しい答えを朗々と披露する人は、
コンサルティング業がサービス業だということを理解していません。
考えるという行為は、それなりにエネルギーと時間を消費します。
このため思考意欲の低い人は、過去においても
あまり考えてきていません。
マッキンゼーのパートナーの多くは、高い洞察力や先見性など以前に、
身体的、そして精神的な思考体力が突出しています。
彼らは10時間を超える飛行機移動を数日ごとに繰り返しながら、
その移動中も含めて、ずっと考えています。
採用面接において重要なことは、
思考スキルの高い人と低い人を見分けることではなく、
「ものすごくよく考えてきた人と、あまり考えてきていない人」を
見分けることです。
深く掘り下げるという現状分析作業とは反対方向の思考である、
「今は存在しない世界」をゼロからイメージして組み上げていく
思考が求められます。
マッキンゼーでは、バランスが崩れていてもよいので、
何かの点において突出して高い能力を持っている人が
高く評価されます。
「リーダーシップがあって、頭がよく、英語と日本語ができる人」が
日本人学生の中には極めて少ないのに、
中国人留学生の中には一定数存在するのです。
私には、自らリーダーシップを発揮して、
彼らから寄せられるアドバイスのうちどれを採用し、
どれを採用しないか、自分で決めることが求められていたのです。
日本では、リーダーシップをネガティブなイメージでとらえ、
「自分の意見ばかり主張する強引な人」、
「他人に指示ばかりして、自分は手を動かさない人」などど、
解釈されることさえあります。
多くの日本企業では、ある人が課長になった場合、
その最大の理由は、「その人が課長になるべき年齢層に達した」
ということです。
日本では時々、雑用係のことをリーダーと呼んでいるのではないか
と思うことさえあります。
組織のメンバーを奮い立たせる目標を設定することは、
リーダーの重要な仕事のひとつであり、
自分の性格に合わないからやらなくてもよい、
という類のものではありません。
リスクをとるのがリーダーの役目なのですが、日本では時に、
「リスクを、人ではなく場所に負わせる」という
びっくりするような手法が使われます。
「やっぱり拙速だった。もっと議論してから決めるべきだった」
と言っている人にも、リーダーシップ・ポテンシャルはありません。
まったく同じ人間が二人いるなら、どちらか一方は不要だ
マッキンゼーに内定をもらうことが極めて重要なこととなり、
そのために必死で努力し、ケース問題を徹底的に分析して準備する…
こういったメンタリティに入った段階で、
「あまりに目標が低すぎる」と面接担当者は感じ、
「この人にとって、マッキンゼーは正しい場所ではない」と、
判断してしまうでしょう。
早めにポジションをとることにより、さまざまな問題点が浮かび上がり、
改善や修正も素早く行えるようになります。
仮でもよいのでポジションをとって結論を出さないと、
外部から反対意見さえ集めることができず、
何を改善すればいいのか見えてきません。
準備が完璧になるまで決めないという意思決定方式は、
一見、責任感のある正しいやり方に見えます。
しかし、準備を完璧に行うことが可能だと思っている時点で、
この考えは極めて傲慢であり、非現実的です。
日本における「優秀な人」の問題は、チームで取り組むことで、
個人で取り組むより高い成果を達成したという
経験をもたない人が多いことです。
日本人はよく「アメリカは個人主義、日本は組織力」などと言いますが、
これはむしろ反対です。
マッキンゼーにおいて、新人からパートナーまで、ほぼすべての評価が
「チームの成果はどのようなものか」+「あなた個人は、その成果にどう貢献したのか」
という形で成果が問われる
話し合いに参加したら不利益を被るから参加しないなどと言っていては、
国際社会のメンバーとして認知されなくなってしまいます。
マッキンゼーで働くことで価値観が変わり、
新たな世界に目を開く人たちが存在するのであれば、それを利用して、
社会の人材配分の適正化に貢献できるのではないか、
と考え始めたのです。