2016年04月15日

最速で身につく世界史

本日は角田陽一郎 氏の
最速で身につく世界史
です。


本書は世界史を勉強したくて購入しました。


著者はTBSで『さんまのスーパーからくりTV』や『金スマ』を
はじめとする、バラエティ番組の制作に携わるプロデューサーです。
つまり、面白いものを作り出すプロというわけです。

そんな著者は、東大文学部で西洋史を学んでおり、
歴史に魅せられ、一時は歴史学者になることも考えていたそうです。

そんな、これは著者が語る世界史です。


この本を読むと、教科書の世界史がなぜ面白くないのか
はっきりとわかりました。

教科書は客観性を重視するあまり、
人の意図や感情を描いてこなかったのです。


本書は歴史の本なのに、かぎかっこが多いです。
つまり、人物の言葉や感情(推測ではありますが)を描くので、
ある出来事が起こった必然性がスムーズに頭に入ってきます。

特に、著者の専門らしく、ヨーロッパの市民革命についての
記述は素晴らしく、理解を深めることができました。


また、1000年以上昔のことであっても、
現代と繋がっていることも多いです。
そのつながりを意識しながら書いているので、
昔のことを身近に感じることができました。


教養としての歴史を学びたい方に特にお勧めの一冊です。
学校で頭に入れた断片的な知識を、
どんどん結びつけていくことができるでしょう。




毎日決まった時期に増水が始まるわけですから、
その日を元旦に設定して1年が365日の太陽暦が作られました。
なんとこれが、現代の暦の起源にまでなっています。


閉鎖的な世界の中で形成された自己完結型の世界観が
「中華思想」です。
「自らが『世界の中心=中華』であり、
外部は自分たちの下に序列する下部集団にすぎない」
という考え方です。


多神教が一神教と大きく違う点は、
宗教の指導者や偉い人が亡くなった後です。
多神教では、新しい神様が次々とメンバーに加入するのです。
(中略)
最も重要なポイントは、
「あなたも神様になれるチャンスがある!」ということ。


「決めてから迷う」一神教のハリウッド映画と、
「決めるまで迷う」多神教の日本映画といえるのではないでしょうか。


なぜアーリア人は、カースト制度を作ったのか?
それは、褐色系の現地民であるドラヴィダ人を
隔離するためだと言われています。
温暖湿潤地域で暮らすドラヴィダ人は現地固有の感染病を持っていて、
その病原菌に免疫がないアーリア人が距離を置きたかったようです。


インドの宗教には人が動物などに生まれ変わる
輪廻という思想があります。
人は解脱することにより輪廻の苦しみから脱却できるとしたもので、
こえはモンスーンによる激しい雨季を乾期の循環という
苦しみからの解放と重ね合わせて誕生したと言われています。


反対だったものがやがて公認になる、
この逆転現象は世界史では日常茶飯事です。


周辺からの襲撃から身を守ろうとし、時に守れず征服され
子分にされ苦渋を舐めてきた世界…、
そのプライドと劣等感が入り混じった感情が
中華のもう一つの真理なのです。


易姓革命で交替する中国の王朝は、
それぞれにテーマカラーがあります。
(中略)
王朝末期に興った反乱には、次に到来してほしい
王朝の色を名称につけたものが多くなっています。


外部に拡がれなくなると、内部に入る経済的富も減少します。
やがて内部で不満が高まり、
腐敗や内紛、内乱が頻発するようになります。


奴隷を英語で「slave」と言いますが、これはギリシャ人が
スラブ人を奴隷にしたことにちなんでいると言われています。


ロシア人が、東ローマ帝国と当方正教会文明の継承者になったのです。
実はこのロシア人の継承者としてのプライドは、
後述する20世紀のアメリカvsソ連の東西冷戦にもつながる、
西欧カトリック世界vs東方正教会世界の対立構造の
要因にもなっていきます。


横移動のユーラシア大陸では、各地の交流が活発で、
お互いの文明が刺激し合います。
でも、縦異動の南北アメリカ大陸では、
それぞれの文明は交流がほとんどなかったようです。


「これだ。これに決まってる!神様が作った世界の美しさは、
この太陽が中心の世界なのだ!!」
コペルニクスは神様を信じるからこそ地動説を唱え、
境界が信じる天動説を否定したわけです。


王国の代表者は「王様」で、共和国の代表者は「大統領」。


王国の代表者である「王様」を選んだのは神様です。


共和国の代表者である「大統領」を選んだのはだれか?
それは「人」です。


複数の国が集まって一つになったのが連邦です。


貴族にはランクがあり、王様の次に偉いのが公爵です。
その公爵が支配する国が、結果として一国になる形で
存在しているのが「公国」なのです。


そもそも、皇帝とは何なのかと言えば…、
「王様を支配している王様="King of Kings"」という意味でした。


日本の場合は、国の代表者は天皇陛下で、
当時は台湾と朝鮮を支配していましたので「大日本帝国」でした。


社会主義の国では、その国の代表は人でなくて会議なのです。


近代議会発祥の国イギリスには憲法はありません。
国王に要求したマグナ・カルタに始まって、
それ以後国王に要求した数々の約束事が複合して、
やがて慣習法となって、現代も国家とその約束を維持しています。


フィリピンとは「フェリペの領土」という意味です。


1607年には、アメリカ東部を植民地にしました。
エリザベス1世は生涯未婚でした。
そのため処女王と呼ばれた彼女にちなみ、
ヴァージニアと命名されます。


ピューリタン革命→共和政→王政復古→名誉革命。
このような流れを経て、イギリスは絶対王政から現代に続く
立憲君主政(王様が主権を持つが、憲法などのその規定が
その権限を制限する仕組み)への基礎を築きました。


アメリカ建国の基盤は、英雄でも伝統でもなく「理想」なのです。
神の下の平等という考え方に賛同した人たちが造った
「人工国家」なのです。


王の処刑とは、旧体制との完全断絶を意味します。
それが革命です。
「革命とな何か」を端的に言うならば、
「過去との突然の断絶」となります。


近代の理念は、もともとはプロテスタントの神との
誠実な約束から始まったのに、革命がここまで進んで、
ついには神の否定にまで行き着くのです。
進みすぎると、当初の理念を超えるところまで行ってしまう。
それが革命です。
しかし、どんどん急進派が先鋭化して、周りを排除すると、
いつしか革命の先端はものすごく尖って細くなり、
やがて味方がいなくなりボキッと折れます。


フランスの周りの王政国家は、外から革命を潰そうと干渉します。
そのフランスの危機に立ち上がったのが、
フランス市民自身で編成されたフランス国民軍です。
(中略)
マルセイユの義勇兵が歌っていた「ラ・マルセイエーズ」は
国歌になり、赤・青・白の三色旗(トリコロール)は国旗になりました。


革命とは「民衆の不満がたまって、勃発して、過激になり、
独裁者が生まれ、さらに過激になって、反動で独裁者が倒され、
元に戻る」という揺り戻しの繰り返し現象なのです。


明治維新では「4、旧体制のボスを処刑する」という最も革命的な
断絶的な行為がなかったのが決定的に違います。


ヨーロッパでは、王侯貴族同士が婚姻を重ね、
王様同士の血統がぐちゃぐちゃなのです。
ヨーロッパの王室はほぼ親戚同士と言っても差し支えありません。


当時圧倒的な文明力・技術力を持っていた中華文明に
なかなか近代化が訪れなかったのは、
朱子学による文化の硬直化がやはり否めません。


幸か不幸か、インドの統合はイギリスの植民地支配によって
達成されたのでした。


ドイツとイタリア。この2ヶ国が持ってしまった「遅れを取った」という意識、
それがやがて二度の世界大戦へとつながります。
植民地獲得合戦は早いもの勝ちなのです。


連合国の枠組みから、国際連合が成立します。
連合国も国際連合も、英語ではUnaited Nationsです。
実は日本では敗戦後、意図的に訳語を変更しただけです。


「ねばならない」というのはイデオロギー、つまり観念です。


社会主義をイデオロギーのまま進めようとした国は
その実験の途上で崩壊し、社会主義をうまく資本主義と
ミックスできた国は残っているのだとも言えます。








engineer_takafumi at 22:04│Comments(0) ★一般書の書評 | ⇒ 勉強・教育・心理

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