2018年10月18日

ドキュメント 戦争広告代理店

本日は高木徹 氏の
ドキュメント 戦争広告代理店
です。


本書は1990年代最悪の紛争、
ボスニア紛争における「PR戦争」の内幕です。

ボスニア紛争の舞台であるバルカン半島は
非常に複雑な民族事情を抱え、
根の深い争いが発生しました。

しかし、国際世論はそのうちのセルビア人を悪とする、
単純な構図で紛争をとらえてしまい、
経済制裁や最終的には空爆を行うことになるのです。

このセルビア人の印象づけには、
民間のPR会社が大きな役割を果たしていました。

本書はルーダー・フィン社と呼ばれるPR会社が
ボスニア紛争で行った活動のドキュメンタリーです。

世論形成という情報戦が行われていることは
何となくは気づいていましたが、
ここまで国家に深く関わっているということに
衝撃をうけました。

読み始めると、小説のように引き込まれて、
400ページほどを一気に通読してしまいました。


個人的には、
ロンドンでの会議の舞台裏が印象的でした。
国際会議というものは、話し合いではなく
PRの場なのですね。
おそらく、今開催されている会議など、
よりパフォーマンスの要素が強いのでしょう。


国際情勢に関心のある人にお勧めの一冊です。
舞台裏でどのようなことが行われているか
ある程度、推測できるようになるでしょう。




彼の能力を証明するように、部屋の片隅には、
ハーフがボスニア・ヘルツェゴビナ政府との仕事で受賞した
「1993年度、シルヴァー・アンビル賞(全米PR協会主催)」の
高さ30センチほどのトロフィーがおいてある。


シライジッチは、聞く者にあわせて、
その関心を引きつける表情を作る才能を持っている。
怒りをストレートに表現すべきときは激情を、
また、悲しみを物語るべきときは静かな悲嘆を、
その端正な顔にうかべることができるのだ。


一つのパラグラフを語り終えた後、
一呼吸をおいて、にこっと微笑む。
その表情は悪魔的でさえあった。
女性、それもある程度以上の年齢の女性には
非常に大きな効果があった。


明らかな不正手段を用いずに最大の効果をあげるという、
巧妙なプロフェッショナルの仕事である。
紛争当事者の片方と契約し、
顧客の敵セルビア人は極悪非道の血も涙もない連中で、
モスレム人は虐げられた善意の市民たち、
というイメージを世界に流布することに成功する。


情報の送り先として、各社を動かすことができる
キーパーソンを何人把握しているかが
PR企業の腕の見せ所だ。


あらゆる面で気をつかい、記者の皆さんが
不自由なく仕事ができるように取りはからうことが、
最も大切なことなのです


PRのプロから見れば、目前の記者に
不満をぶつけるのは賢明な方法ではなかった。
ここにいるのは足を運んでくれている記者たちなのだ。
むしろ感謝しなくてはならない。


この会見の後からは、プレスキットにまず
ボスニア・ヘルツェゴビナの場所を示す
地図を入れることにしましたよ


最初の記者会見であきらかになった
ボスニア・ヘルツェゴビナに対する
メディアの無関心を克服するため、
ワシントンのさまざまな「急所」に網を仕掛けていった。


メディアを使ってシライジッチの発言を報道させ、
その成果を「ファクス通信」で他のメディアに還流して、
さらに大きな情報の流れを作ろうという狙いなのだ。


むろん、大手のメディアは、ルーダー・フィン社の情報だけを
もとにして記事を書くようなことはしない。
しかし、「ファクス通信」の情報の
「ウラ」をとる取材のために記者が動けば、
ハーフにとってそれだけで大きな成果だった。


メディア全体の中でボスニア・ヘルツェゴビナへの関心が
低い状況では多くの参加は望めない。
関心の高い記者がいてもそのときたまたま都合が悪ければ、
やってこないだろう。
それよりはむしろ、ターゲットを絞ったジャーナリストに、
彼らの都合にあわせて単独インタビューを設定したほうが
効果は確実だと判断された。


通常、ジャーナリストなら、PR企業からの
電話を受ければ警戒します。
たいていの場合、彼らのクライアントは
本当はとんでもないことをしているのに、
それを覆い隠してよいイメージを作り上げようと
狙っているからです


ワシントンは三角形でできています。
その三つの頂点にあるのは、大統領に率いられる
政権、連邦議会、そしてメディアです。
この三つはおたがいに密接に結びつき、
影響しあっています。
だから、この中のある一つを動かしたければ、
他の二つを動かせばいいのです。


バルカン紛争の歴史や経緯に踏み込むのは最悪の選択でした。
これまでどういういきさつがあったのか、
そんな話には誰も耳を貸しません。
とくにアメリカのメディアでそういう話をすれば
視聴者はすぐに退屈してしまうのです。


サラエボの悲劇を語る証言者シライジッチは、
想像を絶する流血の惨状を目撃してきたのだ。
人間の普通の感情として恐怖がさめやらぬ
状態であるはずなのに、
キャスターの質問に滔々と答えては、
リアリティを欠いてしまうことになる。


このときのビデオを見ると、
シライジッチの表情は終始こわばっている。
それは長時間待たされたことへの怒りの表れだった。
救いは、何も知らない視聴者からは
それがセルビア人への怒りに見えたことだった。


シライジッチがテレビ出演したときの
メイクアップも効果をあげている。
当時のビデオを見ると、シライジッチの表情には
常に陰影が深く刻まれている。
それは硝煙と血の臭い漂うサラエボから到着したばかりの
悲劇の主人公の憂いを印象的に表現していた。


サラエボでは、毎日無実の市民が殺され、
血を流しているからです。
怪物のような連中がはびこっているのです。
こういう人道に背く行為を、
決して傍観して見過ごしたりはしないのが、
アメリカという国の責任と誇りだからです。


「民族浄化」という言葉がなければ、
ボスニア紛争の結末はまったく別のものになっていたに違いない。
その後続いたコソボ紛争の結末も違ったものになり、
セルビアの権力者ミロシェビッチ元大統領が、
バーグの監獄で失意の日々を送ることもなかっただろう。


"民族浄化"はあっという間に、あらゆるメディアが
使いまくる言葉になってしまったんです。
言葉の持つイメージが一人歩きしてしまい、
具体的な事実があろうがなかろうが濫用されて、
誰も止められなくなっていました


マーケティングには、
効果的なキャッチコピーがつきものだ。
それが「民族浄化」だった。


サラエボで無防備な市民が殺されていく映像は、
たしかにショッキングだった。
しかし、どんなホラー映画でも
何回も見れば慣れてしまうように、
流血シーンの効力には限界があった。


記録を見ても、ルーダー・フィン社の文書に、
「ナチス」とか「ホロコースト」という表現はない。
それらを直接口にすることは注意深く避けられている。


セルビア人たちをナチスになぞらえ、
PRに利用することは、ユダヤ人社会に
ホロコーストの犠牲者を冒涜している、
と受け取られる可能性もあった。


セルビア人も、クロアチア人も、モスレム人も、
誰もが同じことをしていたのだ。
にもかかわらず、セルビア人が被害者となり、
他の民族に追い出された場合には、
"民族浄化"とは呼ばれなかった。


「ポサンサカ・クライナにいるモスレム人は、常に腕に白い腕章を付けるように命じられている」
という事例が紹介されている。
それは、誰の目にもあからさまに
「ユダヤ人狩り」を思い起こさせるエピソードだった。


シライジッチは人を扇動する能力にたけて、
嘘をつくのも上手な男だった。
あの男はおそろしく大きな力を発揮して、
紛争の行方を左右してしまったんだ。
その一方で、各紙の論説委員会は
ボスニア・ヘルツェゴビナ政府とだけ接触して、
セルビア人からは情報をとろうとしなかった。
それが問題なんだ。


アメリカでは、民間の一企業人でも、
国際政治に関与していくことを
自分の責務だと考えている。
ましてや、国務省には世界の問題を
自分たちが解決し動かしてゆくのだ、
という使命感は強い。


政権が代わるごとに主要スタッフや高級官僚が入れ替わり、
優秀な人材が民間と役所を往復する、
という日本では考えられないやり方は、
彼らがPRのセンスを磨くという意味で
プラスに作用していることは間違いない。


われわれは、ミロシェビッチを
"サダマイズ"することにしたのです。
それは、国際政治の舞台で彼を戦争犯罪人のように扱い、
すべての国が彼に背を向けるような
世論を作ってしまう、ということです


国際的な首脳会談で意外にありがちなのは、
友好的ないい雰囲気で話が進んではいても、
じつは単なる世話話をしているだけで、
あっという間に予定の時間が終わってしまう
というケースです。


それから数時間後、ハーフとシライジッチは
首脳会談の成果を目の当たりにした。
ヘルシンキ会議のクライマックスは、
ブッシュ大統領の演説だった。
登壇したブッシュ大統領はこれまでになく
厳しい言葉でセルビア人を非難した。
そして、演説はドラマチックに締めくくられた。
「今、私たちが話し合っているこの瞬間にも、"民族浄化"は行われているのです」


日本のように大学を卒業してすぐに外務省に入り、
一生その中で生きていく外交官が大半、
というやり方では永遠に日本の国際的なイメージは
高まらないだろう。


新首相の名は、ミラン・パニッチ。
ベオグラード生まれだが、国籍はアメリカ。
住所はロサンゼルス近郊オレンジ郡。
つまり、カリフォルニアに住んでいるアメリカ人が
ユーゴスラビア連邦の首相に突如としてなったのである。


ナチスとは、西洋社会の奥底に巣食うトラウマである。
1992年8月初頭、その深い傷が、
欧米社会にひとつの言葉を亡霊のように蘇らせた。


アメリカで育ったパニッチは「強制収容所」
という言葉がもたらす影響の深刻さを理解していた。


ベオグラードにいるユーゴスラビア連邦の首相パニッチにとって、
このボスニアの中のセルビア人支配地域は、
制度上「隣国」であった直接権限の及ぶところではなかった。
そこにどのような収容所があり、何が起きているか、
実際のところ把握してなかった。


彼女自身は、常に「捕虜収容所」という言葉を使い、
「強制収容所」とは言っていない。
だが、世界を動かしたのは
そうした報道のディテールではなく
一枚の衝撃的な写真であり、
それは確実に、ナチスと結びつけられたのだ。


ワシントンの有名なPR企業が、
いったん受けた仕事を前言を翻して断ったことには
心から失望しました。
"セルビア人のために仕事をしている"ということが
世間に知れたら、彼ら自身の評判に傷がつくのでは
と心配になったに違いないのです。


西側のメディアは何かあると、
全部セルビア人のせいにしました。
彼らは"悪者"を作るのが好きなのです。
そしていったん"悪者"ができると、その"悪業"を、
ろくな検証もせずに書きたてて、
ニュースとして報道するのです。


「われわれの味方でなければお前は敵だ」
というのが、ボスニア・ヘルツェゴビナで
戦うすべての者たちのメンタリティだった。
その中で「中立」を保とうとする国連平和維持部隊は、
双方から敵とみなされる。


わずか数日という短い期間に、
さまざまなメディアに露出して同じ発言を繰り返すのは、
一つのアイディアを浸透させるためには
最も効果的な方法である。
「強制収容所」が欧米の主要メディアの
メジャーイシュー(主要な話題)となりつつある今、
それに水をかけるメッケンジー将軍の
存在は許しがたいものとなった。


パニッチは、一つの覚悟を決めていた。
それは、セルビア、そしてユーゴスラビア連邦に対する
悪のイメージをミロシェビッチ一人に負わせ、
すべては彼の責任である、
ということにするPR戦略だった。
そしてミロシェビッチ大統領の「悪のイメージ」が
頂点に達したところで責任を全部背負って
大統領を辞任してもらい、その後を西側に受けのいい
自分がとってかわろう、という計画だった。


現在のセルビア共和国政府は、ミロシェビッチ大統領を
国際社会に差し出し罪を負わせることで、
問題はセルビア人全体にあるのではない、
とアピールしているのだ。
それはパニッチ首相が考えた方法と同じである。


ロンドン会議の資料映像は今も豊富に残されている。
だが、メイン会議場でこの二人が同時にうつった映像はない。
同じセルビア人代表の二人が不自然にも
離れて座っているのである。
カレフの細工は成功したのだ。


世界はこのイベントに平和への期待をかけていたが、
皮肉なことに、会議場へのIDを手にした
各国の参加者たちは、この会議が実質的な話し合いの場ではなく、


あまりに多くのカメラマンがステージに殺到したので、
即席の舞台が音をたてて崩れてしまったんです。
みんな命があぶないところでした。
このモスレム人親子はそれほどの
視覚的効果を与えていたわけですよ。


誤算は、西側の記者たちの多くが、
パニッチよりもあくまでミロシェビッチ大統領を
追いかけたことだった。
(中略)
ただでさえ不機嫌になっていたミロシェビッチ大統領は、
あるときはカメラを無視し、あるときは悪態をついた。


ロンドン会議の本質が「劇場」だったことだ。
よい演劇には、よい役者が必要である。
その点ミロシェビッチは、「ロンドン劇場」を楽しむために、
これ以上は望めない最高の悪役だった。


ひとつだけ、実質的な取り決めがあった。
国際戦犯法廷を設置し、人道に対する犯罪を
捜査して裁くことが決められたのだ。
これから9年の後に、ミロシェビッチその人が、
この法廷の被告席に立つことになるのである。


ミロシェビッチは、セルビア人が
CNNなど見ないことを知っていたのです。
ミロシェビッチの関心の的は、
自分がセルビア政界で権力を保持できるかどうか、
という一点だけでした。
そのためには、西側記者に
サービスする必要はなかったのです。


どんな人間であっても、
その人の評判を落とすのは簡単なんです。
根拠があろうとなかろうと、
悪い評判をひたすら繰り返せばよいのです。


ゴーストライターがいるな、とすぐにわかったよ。
イゼトベゴビッチの頭から、
アメリカのモダンアートの画家の話を
演説に持ち出すアイディアなど、出てくるわけがない。
自分も同じバルカン出身の人間だからよくわかる。


パニッチの発言は、アメリカに向けた脅しと受けとられた。
ユーゴスラビア連邦首相の脅しに、アメリカが屈することはなかった。


ボスニア紛争という、誰の目から見ても大きな
国際的危機で成果をあげたということは、
素晴らしいPR効果につながりました。
なぜなら、この能力は、民間企業の危機管理対応にも
当てはめることができるからです。
ですから多くの民間企業がルーダー・フィル社と
契約したいと言ってきました


製品に欠陥が発生し、対応を誤れば
会社の存続が危うくなる、という危機的状況にある会社が
次々とルーダー・フィン社に助けを求めてきた。
たとえボスニア・ヘルツェゴビナ政府からの
支払いは十分でなくとも、その分を補ってあまりある
利益がもたらされたのである。


コソボ紛争でも、PR企業は活躍した。
ハーフ自身が、コソボ自治州のアルバニア人の穏健派を
代表するコソボ民主同盟と契約していたし、
武装組織コソボ解放軍(KLA)も
別のPR企業を使って情報戦を繰り広げた。
ミロシェビッチは再びPR戦争で後れをとり、
今回もまた悪いのは全面的にセルビア人、
ということになった。
激昂した国際世論に押されるように、
NATOによるセルビア空爆が行われ、
ベオグラードを含むセルビア本土の、軍事施設だけでなく、
橋や鉄道、放送局などの民間施設も爆撃されて、
多くのセルビア人が命を落とした。


たとえばモスレム人が作っていた「収容所」を発掘し、
問題を拡大してオマルスカ「強制収容所」の
ダメージを相殺することもできたかもしれないのだ。
実際に、旧ユーゴ戦犯法廷では、モスレム人も「収容所」をつくり、
人権侵害をはたらいたとして逮捕者も出ている。





engineer_takafumi at 23:43│Comments(0) ★一般書の書評 | ⇒ ビジネスその他

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