2018年12月21日
両辺に∫(インテグラル)つけちゃっていいの?
本日は中井 晶也 氏の
両辺に∫(インテグラル)つけちゃっていいの?
です。


本書は少しマニアックですが、
微分方程式を解くときに
f(x)dx=g(y)dy を ∫f(x)dx=∫g(y)dy にしても良いのか?
という疑問に答えた本です。
私は正直この疑問を感じたことはありませんでしたが、
本書を読むと、自分の考えの浅はかさを感じました。
あたり前のように感じていたことが、
実は色々な矛盾を含んでいたのですね。
数学に厳密な人は気づくのでしょうが、
鈍感な私は気づきませんでした。
例えば、下のような問題です。
また、本1冊かけて議論しておきながら、
最後は「感覚で理解できたらγもΦも忘れてしまえ」
という潔さが気持ちよかったです。
個人的には、
定積分と不定積分は全く違うものとして考える
というところが印象的でした。
同じような表記なので、同一に考えてしまいますが、
内包する意味は異なるのです。
微積分を理解した大学生にお勧めの一冊です。
本書の議論により、読み物的に楽しみながら、
理解を一層深められるでしょう。
逆に、数学があまり得意でない高校生が
微積分を理解するために本書を読むのは間違いです。
余計混乱することでしょう。
まず、教科書をしっかり学んでからにして下さい。
両辺に∫(インテグラル)つけちゃっていいの?
です。
本書は少しマニアックですが、
微分方程式を解くときに
f(x)dx=g(y)dy を ∫f(x)dx=∫g(y)dy にしても良いのか?
という疑問に答えた本です。
私は正直この疑問を感じたことはありませんでしたが、
本書を読むと、自分の考えの浅はかさを感じました。
あたり前のように感じていたことが、
実は色々な矛盾を含んでいたのですね。
数学に厳密な人は気づくのでしょうが、
鈍感な私は気づきませんでした。
例えば、下のような問題です。
∫f(x)dx=∫g(y)dy は左辺はxの関数、右辺はyの関数で、
この等式は一体何が等しいと主張しているのでしょうか?
また、本1冊かけて議論しておきながら、
最後は「感覚で理解できたらγもΦも忘れてしまえ」
という潔さが気持ちよかったです。
個人的には、
定積分と不定積分は全く違うものとして考える
というところが印象的でした。
同じような表記なので、同一に考えてしまいますが、
内包する意味は異なるのです。
微積分を理解した大学生にお勧めの一冊です。
本書の議論により、読み物的に楽しみながら、
理解を一層深められるでしょう。
逆に、数学があまり得意でない高校生が
微積分を理解するために本書を読むのは間違いです。
余計混乱することでしょう。
まず、教科書をしっかり学んでからにして下さい。
微分方程式が出てくるような状況では、
微分可能な関数以外出てくることがない。
そうでないと、微分方程式の問題が作れないし、
そもそも自然界には微分不可能なほど急激に
値の変わるものがほとんどないからだ。
そうであれば、もう自分で神様を作ってしまおう。
物理世界の神変数tと同じ感覚を数学にも持ち込もう。
それが人工神変数γの意図であり、主張である。
xの値が変わるからyやdxが変化するのではない。
γが変わるから、x,y,dx,dyが一斉に変化する。
その姿を想像できるようになるのがγの効果だ。
いままでdxやdyの数値を見たことがあっただろうか?
これはdγ=1の効果だ。
数学には思いのほか表記のあいまいさがあり、
意味に立ち返ってxやイコールの読み方でさえ
自分で考えないといけないところがある。
「あれはなんだ?」と聞かれれば、
「数学にはよくあることだ」
とわかってあげるのが世の情け。
不定積分を理解しようとするとき、
大きな邪魔になるのが、定積分だ。
定積分のときは「積分する」が「面積を求める」
の意味になるが、不定積分では
「積分する」が「原始関数を求める」の
意味になることは、再確認してほしい。
「不定積分のdxは微分のdxと同じものだ。」
「dxは∫とセットではない」
「∫は、それ単体で、γで積分するの意だ」
不定積分が定積分の道具であるかのような、
そんな気持ちで区分求積を頭に描きながら
積分のことを考えると、
(定・不定どっちだかあいまいな)積分のdxのイメージが
出来上がり、それは微小幅ということで固まってしまう。
左辺と右辺は”値が”イコールだ。
しかし、xについての原始関数、yについての原始関数、
これらの値をどう比べていいかわからない。
(中略)
すべての変数をγに統一すると、
右辺と左辺の値を比べられるようになる。
不定積分のdxは、微分のdxと考えた方がよく、
とりあえず定積分のdxとは違うものかもしれない
「xで微分」は「γで微分して、次にdxで割り算」に分解される。
不定な"C"はご存知の通り、"定"積分では消えてなくなる。
一方、不定なCが残っているから"不定"積分と呼ぶのかな?
とおもうのだが、その割にCの名前が積分"定"数というのは、
なかなか手の込んだ洒落のような気がする。
不定積分なんだから「積分不定数」と呼ぶのは、
意地悪だろうか。
感覚として理解してしまった人は、
もういちいちγに立ち戻らず、
便利で誰もが知っている
d○/dx は、○をxで微分すること
∫○dxは、○をxで積分すること
を利用して、さっさと問題を解いてしまえばよい。
d2yはd(dy)ではない