2020年01月25日

SELFISH(セルフィッシュ)

本日はトマス・J・レナード氏、バイロン・ローソン 氏の
SELFISH(セルフィッシュ)
です。


本書は自己啓発書の名著で、
世界的なロングセラーである名著を
完全日本語訳にしたものです。

この本は人生を豊かにする28の法則が
紹介されています。

その法則の最初が本のタイトルでもある
「Selfish」になります。

Selfishというと、自分勝手とか、わがまま
という印象があることでしょう。

しかし、著者はSelfish(自分本位)とは、
自己中心やわがままとは違うと言います。

自分を大切にしながら、
他人に与えることは両立可能なのだ、
と主張します。

それどころか、自分が満たされるからこそ、
人に与えることができるのです。

これは今までの自己啓発本に馴染んだ
多くの人にとっては、意外な話かもしれません。

その他の法則も、
無理をしない、未来に期待をしない、ゆとりを持つ、
人との約束は控え目にする、物事を大目に見ない、
弱点を肯定する、など、肩から力を抜くような
ものがたくさんあります。

余計なところに力を入れると、
本当に力を入れるべきところがおそろかになります。

人生を豊かに生きていくために
本当に必要なものを教えてくれる一冊です。

500ページを超える大作ではありますが、
成功への道が網羅されており、
その価値は十分にあるものと思います。


成功したくて、本を読んで実践したけれど、
いまいち上手くいかない、という人にお勧めです。
大事にすることはもちろん、捨てるべきことを
教えてくれることでしょう。




セルフィッシュになればなるほど、
他人に対して寛容になれる。
自分を先に満たすことで心に余裕が生まれて、
無理のない範囲で親切になれるからだ。


人はセルフィッシュになれば、自分ならではの
技能や才能を高めていくことに専念できる。
個人にとっても社会にとっても、
セルフィッシュになることこそ、
進歩のための要諦と言っても良さそうだ。


セルフィッシュになれば、
欲しいものは全て手に入れつつ、
同時に心の余裕を持つことができるのだ。
そして、余裕を持つことは、抗いがたいほどの
魅力を身につける鍵でもある。


ただ崇高になろうとして、しかも自分の立派さを
人にアピールするような人は、
まだまだエゴにとらわれている。


自己中心的とは、自分のことしか考えておらず、
世界は自分中心に回っていると思うことだ。
無神経とは、心配りが欠けており、
やはり他人のことを全く考えていないことをいう。
思い切りセルフィッシュになりながらも、
自己中心的にも無神経にもならずにいることは、
実際には可能である。


「これが欲しい」「自分にはこれが必要だ」
と感じるものに敏感になって、
手に入れるためにすぐ動くことだ。
いつかタイミングが来たら、などと思わないこと。


今この瞬間に生きるからこそ、
人は最も魅力的に輝くのだ。
未来のためにがむしゃらに頑張ったり、
過去をどうにかしようとするのではなく、
心地よく、穏やかな気持ちで、
今この瞬間に集中すること。


現在よりも未来のほうが
ずっとわくわくすると感じる時は、
ゴールという目的地のほうがプロセスという旅路よりも
自分の中で重要になってしまっている。
人生における本当のギフトは現在にあるのに、
だんだんそれに気付かなくなってしまうのだ。


大事なことは、全て現在が教えてくれる。
まだ見ぬ未来に惑わされてはいけないのだ。


進化するためには、計画はあくまでも
軽く持っておくにとどめよう。


頑張ることに必死な人は
一つのことで頭がいっぱいになりがちで、
一緒にいると自分のエネルギーが吸い取られる
ということが往々にして起こる。


身体の反応は往々にして、
思考よりも雄弁で、正確で、もっとストレートだ。


感情を無理に抑制するのをやめれば、
そこから貴重な学びが得られるし、
内なる自分自身とも
より良い関係を築くことができる。


問題が起きたときにそれを解決しようと対応するのは、
進歩のための行動だ。
問題がそもそも存在しない状態に
なるべく根本的な対応をするのは、
進化のための行動だと言える。


自分なりに実験しながら、
どんどん根本的な対応をしてみることだ。
自分が意思決定するときのいつものプロセスを、
思い切って飛ばしてしまうのだ。


分かりやすいのは、自分の求めるものを手に入れて、
そこにどんどん「足し算」をしていくことだ。
これと同じくらい重要で、
見落としてしまうと悲劇につながりやすいのが、
不要なものを減らす「引き算」をすることである。


新しい行動を身につける方法を考えるよりも、
行動によって新しい考え方を実践するほうが簡単


時間でも、お金でも、アイデアでも、
あるいは「人」であっても同じだ。
自分が欲しいと思うものを
素直に手に入れられる自分になろう。


自分の人生を複雑にするような
負荷や人間関係も手放していこう。
抱えるものが軽くなれば、より高みへと上がることができる。


喜びを感じながら何かに打ち込んでいるとき、
自分ではほぼ何も苦にすることなく、
同時に他の人にもたくさんの
価値を与えていることになる。


相手の感情に共感することを意識しよう。
単に相手の話の内容に反応するのではなく、
その中にある気持ちと同じものを
返すようにするのだ。


私はクライアントの勧誘に躍起になるのをやめて、
質問をするようにしたのです。
例えば「次の四半期でどんな目標を達成したいですか?」とか
「自分が死んだら、皆にどんな風に自分のことを覚えていてもらいたいですか?」
とかいったことです。


自分が提供していうもののエッセンスを、
二語か三語で表現してみるのだ。


事実はもちろん大事だが、感情のほうが
より力を持つものだと身に沁みているからだ。


他の人の期待に応えなくてはと思い始めると、
もうその過程を楽しめなくなる。
(中略)
それと同時に、自分も他の人に期待するのをやめよう。


「良い人(Nice)」は、
語感でいけば「臆病者(Mice)」と同じなのだ。


自分で自分を心から魅力的だと思えて、
良い気分を味わうためには、
時には他の人からは変に思われるようなことでも
やってみたらいい。
自分が自分のことをどう思うかが
何よりも重要なのだ。


新しいことを学ぶことは、
すなわち自分を解放することである。
新しい選択肢は、いつでもそこにある。


期待値はできるだけ下げること。
そうすれば、自分の裁量がぐっと大きくなる。


「押し出す」力よりも「引き寄せる」力のほうが
ずっと効率が良い


自分で無理やり問題を解決しようとするのではなく、
自分のために問題を解決してもらえるような
状況を作っているのである。


自分が本来言おうとしたこと、
あるいは真実だと思っていることとは
逆のことを思わず言ってしまったときに、
それを取りこぼさず、きちんとすい上げることだ。


自分が学んでいることを頭で完全に理解する前に、
自分の考えや行動を実質的に変えることができる人が、
素早く行動していける人だ。


小さなことは一瞬で改善することができる。


自分の「成功の器」なるものがあるとすると、
大目に見ることでその器に穴をあけてしまうことになる。
満ち足りた気持ちも運も、
その穴からどんどん漏れていってしまう。
果ては「自分自身」さえも枯渇させてしまうのだ。


「良い人なんてやめてやる!」症候群にならないためには、
次の四つのステップで対処していくといい。
1, 物事を大目に見ることで自分が得ている利益に気付くこと。
2, その領域で自分が要らぬ我慢をしないための目安や基準を設けること。
3, 物事を大目に見ることをやめるとどうなるか分からない、という不安やリスクを感じてしまう要因を減らし、無くすこと。
4, 自分が大目に見ているものに対して、健全な関心を寄せること。


「大目に見ること」自体が二度と起こらない
状況を作ってしまうのだ。


一つ目は、自分にとって何が一番嬉しいかを
知ってもらうことである。
だが、察してもらおうと思ってはいけない。
二つ目は、そのために相手にしてもらいたいことを、
自分から教えることである。


自分のニーズを口に出すだけでも、
それが自分にとってどれだけ大切なものなのかが
相手に伝わる。


自分の一番の弱点を愛し、受け入れる方法を見つけること――
そして、欠点を改善しようとは思わないことである。


自分の最大の弱点を直そうとするのではなく、
それが語りかけてくるものを理解するように努めよう。


助けてもらった人よりも、実は助けた人のほうが
得るものが多いというのが世の常である。


受け身で待っているのではなく、
自分の弱みを他の人に自分から伝えよう。


自分の弱みを真の意味で肯定するためには、
それが自分自身や自分の人生、
そして周りの人に与えている影響を、
100%引き受けなくてはならない。
弱点を恥じる必要は全くないが、
それを振りかざしてはいけないのだ


助けを求めるのは弱さではない。
むしろ、自分で解決策を模索する、
非常に知的な行為だ。


フィーリングは、
今この瞬間の自分にとって正しいことである。
感情的な反応は、過去に生じたものの残像でしかない。


ありのままの現在に寄り添う(そして愛を注ぐ)ことが、
実は最適な未来を引き寄せるベストな方法なのである。


なぜ物事が今の姿で存在しているのか――
たとえ今の自分には理解できなくても、
より大きな枠組みで捉えてみれば、完璧な説明がつく


過去から学ぶことももちろんできるが、
現在起きていることから学ぶほうが、
より早く多くのことが得られる。


言うべきことを言いつつも、同時にどんな状況においても
建設的であろうとすることが難しく、
両立できる自信がなおときは、迷わず
「真実を言う」ことを選んでほしい。


切迫感がある場合は、おそらくそれはニーズである。
強い渇望を感じる場合は、
おそらくそれは欲しいものである。
単純に自然と心惹かれる場合は、
おそらくそれは自分にとっての価値である。


先ほど丸をつけたリストを見てみよう。
20個の中から、ニーズや欲しいものに当たるものを
さらに除けていくことはできるだろうか。
足したり引いたり調整しながら、
最終的に丸の数を5個に絞ってほしい。
その五つが、自分の核になる非常に重要な価値観だ。


ニーズがまだ満たされていない人にとっては、
この法則の実践はかなり難しい。
満たされないニーズに惑わされて、
価値観を見いだす能力が曇ってしまうことが多いからだ。


テーマのほうを人生に取り込めば、
自然と人生にその価値観が反映される


ほとんどの人は自分の価値観を明確にすれば、
自分のキャリアが傷つくのではと心配している。
実際には逆で、価値観を明確にすれば、
仕事の面でもプライベートの面でも、
自分にとって正しい方向へと自然に舵が切られていくのだ。


今日から、自分の人生をシンプルにしていこう。
うまくいっていない仕事やゴール、役割、問題や夢を
一つでも手放してみるのだ。


人生をシンプルにしておけば、
決定的な瞬間がやって来たときにすぐ察知して、
100%そこに集中することができる。


ギターを弾くということは、彼らにとって
本物の夢ではなかったのだろう。
自分の気持ちをギターで表現できるようになるか、
演奏することで少しでも気持ちを
軽くできるようになりたい、
というゴールに辿り着くまでには、
何百時間もの練習が必要だ。
ギターを弾けるようになるという夢が表していたものは、
実は別のものだったのだろう。
そして、それは、他にもいろいろなやり方で
叶えることができる。


夢の核心にある願いは、
夢の形自体よりももっと重要で、
自分の中で長く生き続けるものだからだ。
だからこそ、夢は軽く持っておくくらいがいい。


もしかしたら最終的には、
今の自分には思いもよらないようなすごい方法で
願いが満たされることもあるかもしれない、
という可能性に対してオープンであることだ。


真実とは――少なくともある程度は――
社会によって「構築された」現象のことなのだ。


真実は「どこかにある」のではない。
自分の周りや、自分の中にあるものだ
そして不動の存在ではなく、相対的なものである。
「自分にとっての」真実とは何か――
それこそが最も大切な真実である。


自分が負け犬なら、そう言おう
自分がばかだと思うなら、そう言おう。
たくさんミスをしてしまうのなら、そう言おう。
お金がないなら、そう言おう。
自分で自分が好きになれないのなら、そう言おう。
余裕をもってベンツを維持できないのなら、売りに出そう。
人のありのままを見通せる明晰さを持った人であれば、
欠点にかかわらずあなたのことを
魅力的だと思ってくれるはずだ。


こうした欠点は、乗り越えようと思えばできる。
しかし、どんな形であれ自分を偽ってしまえば、
成功という名のコップの中に
毒が知らぬ間に混ざってしまう。
この毒を取り除くほうが、ずっと難しいのだ。


エゴとはとてもスピリチュアルなものであって、
それを押しつぶそうとするのは
逆にスピリチュアルから
遠ざかってしまうことだと感じている。
ここで私が思う「スピリチュアルさ」とは、
つながっていることと軽やかであることの二つである。






engineer_takafumi at 00:23│Comments(0) ★一般書の書評 | ⇒ 自己啓発

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