2021年01月07日

ゴミ人間 日本中から笑われた夢がある

本日は西野 亮廣 氏の
ゴミ人間 日本中から笑われた夢がある
です。


本書は映画「えんとつ町のプペル」が
公開になるときに合わせて、
著者の西野さんが書いたエッセイです。


西野さんは日本のエンタメ業界の
最先端を走っていますが、
あまりに早すぎたために、
激しいパッシングも受けました。

その中で西野さんが考えていたこと、
感じたことをまとめています。


時代の先を行きすぎている天才の
苦悩を感じることができました。

日本人は同調圧力が強いですが、
天才を暖かく見守ってあげる
土壌ができると良いですね。


ただ、西野さんは人間離れした
行動力、情熱、才能を兼ね備えた人なので、
凡人にとっては手の届かない存在、
というところが現実です。

ただ、世界を良くしようとする天才の
力になれると良いな、と思いました。


個人的には、
ノストラダムスの大予言のお話が
特に印象に残りました。

子どもの頃にそんなことを言っていた
記憶が私にもあります。

それが許されるか許されないかが
世間の空気の違いだったのですね。


クリエイターと呼ばれる方は
ぜひ一読した方が良いと思います。
作品作りと商売の力配分を考え直す
機会になってくれるでしょう。




先輩方の番組に呼んでいただく度に
「爪痕を残す」と意気込んでいましたが、
僕が番組で結果を出せば出すほど、
番組が続き、先輩の寿命が伸びます。


大切なのは、「どこで結果を出すか?」
を問い続けることで、「一番」を目指すのならば、
競争に参加するのではなく、
競争を作る側(ハード)にならなければなりません。


「報われる努力」に巡り合えるかどうかは
「運」が絡んでくるので、
コントロールすることができませんが、
「報われない努力」を排除することには
「運」が絡んでこないので、コントロール可能です。


「専業家」には時間の自由がなく、
「複業家」には時間の自由があります。
場合によっては、複業家は、
一つの作品を仕上げるまでに
10年かけることだって可能です。


プロの絵本作家さんには、
「収入が数年間止まってしまう絵本」に
手を出すことはできないのです。


「作るだけ作って、売ることは他人に任せています」
というスタンスは、一見するとクリエイターの
あるべき姿のようですが、実際のところは、
「育児放棄」です。


僕たちは「作品」にはお金を出さないけれど、
「おみやげ」にはお金を出しています。


どれだけ網を投げてもスルーされてしまうので、
僕は網を捨て、「モリ」に持ち替えました。
1万人に網を投げるのではなく、
一人ずつモリで突き刺す作業を
1万回繰り返すことにしたのです。


大吉さんの言ったとおりになりました。
というより、大吉さんの言ったとおりに
なるように持っていきました。
そうしないと、
「あの日の大吉さんの言葉が間違いだった」
ということになるからです。
その未来だけは迎えてはいけません。


ノストラダムスの大予言が外れたあの日、
僕らは長い長い夢から覚めました。
もしかすると、あの予言は
当たっていたのかもしれません。
一つの世界は確かに終わりました。
個人的には、嘘やデタラメが許された
あの世界が結構好きでした。


フザけるな。僕が一体いつ商売に走ったんだ?
ずっとずっと、自分のやりたいことしか
やっていないじゃないか。
世間のニーズに合わせて「商品」を
作り続けているのは、お前らのほうじゃないか。


手のひらを返されることなんて、
声が届かない痛みに比べたら軽いもんです。


全員が反対しようとも、
結果的に全員を守れるのであれば、
反対意見を押し通すのがリーダーの仕事です。





engineer_takafumi at 23:11│Comments(0) ★一般書の書評 | ⇒ クリエイティブ

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