2020年12月25日

ブッダの獅子吼 原始仏典・法華経の仏教入門

本日は北川 達也氏の
ブッダの獅子吼 原始仏典・法華経の仏教入門
です。


本書は國學院大學の神道文化学部を卒業し、
神職養成機関で取得できる
最高階位「明階」を授与されたのちに、
ソフトウェア会社の経営を行っている
という異色の著者による一冊です。

経歴が異色ですが、
本書のテーマは原始仏典ということで、
ブッダの教えを説きます。

著者は仏教思想研究家の方と親交があり、
講義を受けたり、専門書籍を読んで、
仏教の学識も深められたとのことです。


原始仏教が、今の日本での仏教と
けっこう違っているということが知れて、
興味深かったです。

しかしながら、違うものも受け入れられる
仏教の懐の深さも良くわかりました。

それどころか、仏教を学ぶと、
ヒンズー教のような多神教の宗教、
キリスト教やイスラム教などの
一神教の世界観までも取り入れられる
というところに驚きました。


個人的には、原始仏教には
先祖を供養すると、家運はよくなり、先祖が救われる
という教えはない、
という箇所が特に印象に残りました。

今の仏教は先祖の供養を
大切にしているように思えますが、
最初はそうでなかったのです。

派生を否定しない宗教が
仏教の教えなのですね。


仏教はもちろん、宗教に興味がある人に
おすすめの一冊です。
原始仏教にふれることにより、
教義への知見を広げることができるでしょう。





ブッダは、無条件に受け入れなければ
成り立たなくなる教えではなく、
誰もが言葉によって理解できる教えを
説いていたのです。
要するに、言葉に基づいて理解が得られない教えは
ブッダの説く教えとはいえないのです。


たとえば、他者との紛争があって終わったとしても、
紛争で残ってしまった恨みのために、
再び紛争が起こってしまうことがあります。


一切皆苦とは、
「あらゆる物事は、思い通りにならないこと」
という意味です。
一切皆苦と考えてみると、
思い通りにしようとしている自分を抑えられて、
逆に気持ちが楽になります。


「空」を理解すると、執着なら遠ざかり、
苦しみを離れ、人を大切にすることが
できるようになるのです。


仏法では、確定した未来がある
という考え方はありません。
未来は、現在の「行い<業>」がつくりだして
いくものと仏法では考えるのです。


ちなみに、原始仏典のブッダの教えの中には、
「先祖を供養すると、家運はよくなり、先祖が救われる」
という教えはありません。


ブッダは、修行者たちに対して、
「正しい目的のために、目覚めた人の墓を崇敬してはならない」
と言います。


ブッダへの最上の供養とは、供え物をしたり、
線香をたいたりすることではありません。
仮にたとえるのなら、
「人を大切にする行い<善行>」を
日々に積んでいることこそ、
ブッダへの最上の供養となり得るのです。


気をつけたいことは、
お経の漢文の意味が分からない人の読経は
呪術的と言わざるを得ないということです。
その場合、ブッダは呪術を禁止しているので、
お経の漢文の意味が分かるようになるために、
日本語訳の書籍などを読み、
意味を理解することが大切です。


悪の心をもっていると自覚する善人は
悪人の気持ちが理解できます。
要するに、相手の身になって、
寄り添って考えることができるのです。


教師や家族、友人、異性などを
「拠り所」として依存する人がいます。
これらの人を拠り所とすると、その人の目が気になり、
「行為主体の自己」の判断で結果に責任をもって
生きることができなくなってしまいます。


仏法を学ぶと、私たち自身で、
キリスト教でも、イスラム教でも、日本仏教でも、
いろいろな世界観の取捨選択が
できるようになります。





engineer_takafumi at 00:42│Comments(0) ★一般書の書評 | ⇒ その他の本

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